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オーガニック、バイオダイナミック、サステイナブル農法を提唱して全米に広めたカリフォルニアワインのパイオニア、ポール・ドーランが26日、がんのため亡くなった。72歳だった。
ドーランはワインメーカーでブドウ栽培家で、優れたビジネスマンでもあった。1977年、フェッツァー家がメンドシーノ郡に所有するフェッツァー・ヴィンヤーズ(現ボンテラ・オーガニック・エステート)に入社した。年間2万5000ケースから200万ケースに成長させ、1992年に社長に就任した。
その過程で、フェッツァーをオーガニック栽培に移行させた。カリフォルニアの多くの生産者に有機農法を紹介し、オーガニック栽培が実現可能であることを実証して、オーガニック・ワインの市場を確立した。農家と対話する一方で、ビジネスも成功させ、環境に優しい農業と企業の成功を両立させた点が画期的だった。
ドーランは2014年にワインサーチャーに「ビジネス・リーダーシップを通じて地球の持続可能性に変化をもたらす可能性を追求する。それが私のライフワークの多くの自然な延長だった」と語っている。
オーガニックという概念が前代未聞だった時代に、ボンテッラ・ブランドをオーガニックワインの象徴的な存在として全米に広めた。彼の提唱したオーガニック、バイオダイナミック、再生ブドウ栽培は、旧世界にも新世界にも大きな影響力を持った。
また、ドーランは早くからサステイナビリティ(持続可能性)の重要性を強調していた。2000年代初頭にカリフォルニア・サステイナブル・ワイングローイングの規約の策定と普及に尽力した。最終的にカリフォルニア州全体の認証につながった。
指導力があり、実務にも長けていた。2006年と2007年にカリフォルニアワイン協会の会長を務めた。クリントン大統領の持続可能性評議会のメンバーも務め、バイオダイナミック認証機関「デメターUSA」の役員も務めた。
バイオダイナミック農法にも深く関わり、1990年代に息子のジェイソン、ヒースとともにメンドシーノ郡に購入した「ダークホース・ランチ」で認証を取得した。最後まで農民として生き、ここではブドウ畑のほかに、牛、羊、ヤギ、鶏も飼っている。ソノマ郡ヒールズバーグに「トゥルーエット・ハースト・ワイナリー」を共同設立し、ワイン愛好家が集う空間を作り出した。
20世紀のカリフォルニアで、最も影響力のあったワインメーカーの1人として、尊敬されている。LAタイムズ紙は1991年、ワインメーカー・オブ・ザ・イヤーに選んだ。
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