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カリフォルニア・ピノの先駆、カレラ創業者のジョシュ・ジェンセンが死去

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 セントラル・コーストでカリフォルニアのピノ・ノワールの可能性を開拓し、「カリフォルニアのロマネ・コンティ」と呼ばれて人気を集めたカレラの創業者ジョシュ・ジェンセンが11日午前、亡くなった。78歳だった。


 カレラのワインメーカーのマイク・ウォーラーから友人のマーケティング・ストラテジスト、鈴木優子さんに連絡が入った。コロナ禍になってから家に籠もる生活が続き、体調がよくなかったという。


 2019年の「ウィリアムズ・セリエム」の創設者バート・ウィリアムズ、昨年5月のオー・ボン・クリマのジム・クレンデネンに続いて、カリフォルニアのピノ・ノワールの偉大な開拓者を失った。


 ジョシュは英国のオックスフォード大で人類学を修めた後、ドーバー海峡を渡り、DRCで2度の収穫を体験した。その際にオベール・ド・ヴィレーヌからもらったピノ・ノワールの枝木を持ち帰ったとされている。シャローンのディック・グラフから購入した台木に挿し木したという説もあるが、そのクローンは増殖され、カレラ・クローンとして広く植えられている。

 

DRCで修行して石灰岩土壌探す


 ブルゴーニュのデュジャックやローヌのシャトー・グリエで修業し、1973年に帰国。修業中に多くの造り手に「ピノ・ノーワルを栽培するなら石灰岩土壌を探せ」と言われて、石灰岩にとりつかれる。


 鉱山局の地図を頼りに石灰岩土壌を探し、サン・ベニート・カウンティの砕石場があったマウント・ハーランの131haの土地を購入した。最も近いホリスターの街から車で未舗装の道を20分も走るへき地だった。価格はわずか1万8000ドルだった。


 米西海岸にはサンアドレアス断層が走り、断層の近くに石灰岩土壌が広がるブドウ畑がいくつかある。サンタ・クルーズ・マウンテンのリッジやパソ・ロブレスのタブラス・クリークに加えて、カレラもその一つだ。


 75年に植栽を始めて、最初のワインを造った。ジョシュは野生酵母による全房発酵を大胆に取り入れ、区画別のワイン造りも進めた。最初はセレック(2.23ha)、リード(2.23ha)、ジェンセン(5.66ha)の単一畑に植えた。後にミルズ、ライアン、ド・ヴィリエが加わった。マウント・ハーランは1990年、AVAに認められた。


 70年代のカリフォルニアで、ピノ・ノワールが成功した例はほとんどなかった。適切なクローンがなく、醸造法も知られていなかった。ジョシュは資金もなかったが、ピノ・ノワールへの情熱とブルゴーニュの手法を信じて、ギャンブルに出た。当初は妻ジャンヌとトレーラー暮らしをして、利益を出すまでに12年かかった。残念なことに、夫妻は後年になって離婚した。


 ジョシュは人材も育てた。オレゴンのクリストムでワインメーカーを務めるスティーヴ・ドナーは、79年から91年までカレラのワインメーカーだった。ソノマのリトライ当主のテッド・レモンが、ムルソーのギィ・ルーロの醸造責任者を務める橋渡しをしたのもジョシュだ。


 「ブルゴーニュから戻ってきたテッドがカレラで研修していた時、(ジョシュが研修したドメーヌ・デュジャックの)ジャック・セイスからテッドを探す電話がかかってきた。彼が10分ほど話して、アメリカ人が初めてコート・ドールの醸造責任者になることが決まった」とマイクが明かす。


 ダックホーン・ワイン・カンパニーが2017年、カレラを買収した。ジョシュには息子1人と娘2人がいるが、ワイナリーを継ぐ気はなかった。マイクが買収前からワインメーカーを務めている。

 

 日本では1990年代に漫画「ソムリエ」(堀賢一監修)で一気に人気が出て、米国より販売が多く、世界一の輸出市場だった。

 

「カレラは私の人生のすべて」


 ジョシュは2018年に来日した際、「42年間もワイン造りをして、私も年をとった。カレラは私の人生のすべて。いい時代を過ごして幸せだった。ソノマ・コーストやサンタ・リタ・ヒルズなどでいいピノ・ノーワルが造られているが、いまだにセントラル・コーストが最もポテンシャルがあると信じているよ」と語っていた。


 カレラのアドバイザーを数年間務めた後は、サンフランシスコの娘の近くの海が見える家で暮らし、静かな引退生活を送っていた。


 ジョシュはカリフォルニアのピノ・ノワールの可能性を世界に広めた重要なワインメーカー。「ピノ・パイオニア」として、ワイン・スペクテイター誌2013年10月号の表紙になった。


 その巻頭記事で、オーパスワンのワインメーカー、マイケル・シラーチは「ブドウ品種が生徒たちだとしたら、ピノ・ノワールは(主流ではない)オルタナティブ・スクールに属し、ジョシュはその校長だろう」という賛辞を寄せている。
 

2002年カレラで撮影
手作りの醸造設備で始めた
山間の僻地にワイナリーはあった
表紙になったワイン・スペクテイター2013年10月号

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