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シャンパーニュのメゾン、ヴーヴ・クリコでプレスティージュキュヴェのラ・グランダムを始めるなど、高品質メゾンの基礎を固めた元シェフ・ド・カーヴのジャック・ペテルスが17日、亡くなった。75歳だった。
ヴーヴ・クリコはLVMH傘下で、モエ・エ・シャンドンに次ぐ2番めのメゾン。393haの畑を所有し、生産量は1000-1500万本といわれる。ペテルスはプレスティージュ、ロゼ、甘口などあらゆるレンジの品質を上げた。
ヴーヴ・クリコに1960年代初期に参画し、シェフ・ドカーヴとして42ヴィンテージを手掛けた。プレスティージュキュヴェが一般的でなかった時代、マダム・クリコに捧げたピノ・ノワール主体の「ラ・グランダム」(La Grande Dame)を1962ヴィンテージから造った。
ヴーヴ・クリコはブレンドしたロゼ・シャンパーニュの先駆でもある。ブジーのピノ・ノワールを生かしてロゼの品質を磨いた。「リッチ・リザーヴ」も始め、甘口シャンパーニュのブームを広めた。
ヴーヴ・クリコで働いていたルイナールのフレデリック・パナイオティス、シャルル・エドシェックのシリル・ブランら優れたシェフ・ドカーヴを育てた偉大なメンターでもあった。
ノンヴィンテージ「イエロー・ラベル」のオレンジを帯びたクリコ・イエローのパッケージングを世界に広めたアンバサダーでもあった。来日する際は鮮やかなクリコ・イエローのネクタイをしめて、さわやかな笑顔をふりまき、醸造技術をわかりやすく解説してくれた。
ペテルスはメニル・シュール・オジェ出身。グローワーのピエール・ペテルスの創業者ピエールの長男だったが、当時はメゾンが支配的だった時代。醸造学の学位を取得し、ジャカールで働き、ヴーヴ・クリコに移った。父から家業の継承を頼まれたが断ったため、ピエール・ペテルスは弟のフランソワが継いだ。
メニルを代表するグローワーとなったピエール・ペテルスの当主ロドルフはジャックのおいにあたる。アッサンブラージュに立ち会って、技術的な助言を行っていた。ジャックは2006年に引退し、ドミニク・ドゥマルヴィルが継承した後は、メニルで穏やかな暮らしを送っていた。近年は闘病生活をしていた。
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