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映画プロデューサーから転身し、オレゴンの「イヴニング・ランド・ヴィンヤーズ」(Evening Land Vineyards)やブルゴーニュのルイ・ミッシェル・リジェ・ベレールをコンサルタントに迎えた「チャプター24ヴィンヤーズ」(CHAPTER 24 VINEYARDS)などのワイナリーを設立したマーク・ターロフ(Mark Tarlov)が、がんで亡くなった。69歳だった。
ターロフはコロンビア大学ロースクールを卒業後、ワシントンD.C.の検事を経て、米国司法省勤務から映画産業に転じた。1980年代初頭に映画製作に乗り出し、スティーブン・キングの小説を原作とした初の長編映画「クリスティーン」を、ジョン・ウォーターズ監督を起用して製作総指揮を務めた。
リチャード・ギアやジーン・ハックマンが出演したシドニー・ルメット監督の「キングの報酬」(1986年)、シガニー・ウィーバー主演のジョン・アミエル監督の「コピーキャット」(1995年)などをプロデュースした。
ハリウッドの資金が潤沢だった時代に、ワインの味を覚えた。映画プロデューサーらしく、自らワインを造るという情熱が高まり、オレゴン州ウィラメット・ヴァレーのエオラ・アミティ・ヒルズのセブン・スプリングスに2006年にワイナリーを創業した。
ラリー・ストーンとドミニク・ラフォンを起用
ブルゴーニュ人引き寄せたイヴニング・ランド
そのきっかけを作った1人が、サンフランシスコのレストラン「ルビコン」のスター・ソムリエだったラリー・ストーンMS。高価なブルゴーニュや、カリフォルニア、オレゴンの冷涼なピノ・ノワールを紹介した。
ストーンを支配人に、ムルソーのスター、ドミニク・ラフォンをワインメーカーに起用した。ラフォンにとっては初の海外プロジェクトのコンサルタントだった。一流人材を起用するのは映画製作と同じ。大物のタッグは、デビュー・ヴィンテージの2007から国際的に話題になった。
ピノ・ノワールやシャルドネは、ドルーアンが切り開いたオレゴンの評価をさらに高め、ブルゴーニュの生産者を呼び寄せることになった。ターロフはその後、投資家と対立し、イヴニング・ランドは2014年から、サンタ・リタ・ヒルズの「ドメーヌ・ド・ラ・コート」率いるラジャ・パーとサシ・ムーアマンがイヴニング・ランドの経営と醸造を担当している。
ターロフは2011年、オレゴンで再びヴォーヌ・ロマネのスター、ルイ・ミッシェル・リジェ・ベレールをコンサルタントに起用し、チャプター24ヴィンヤーズを創業。チリの地質学者ペドロ・パラと共同作業で、火山性や堆積土壌に合わせて、ピノ・ノワールを生産している。
ターロフは表舞台に立つワインメーカーや経営者ではなかったが、先見の明があり、世界のトップ人材を引き寄せて、オレゴンのピノ・ノワールの可能性を広めた。ワイン造りは映画製作と似た産業。人材、資金、成功の可能性を見抜くビジョンはもちろん、ワインの官能的な魅力を理解する能力もいる。
ターロフはビジネス的に大きな成功を収めたわけではないが、彼の後に続いた顔ぶれを見る限り、井戸を掘ったその功績は忘れられない。
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