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ブルゴーニュを100回以上訪問
インポーターのラック・コーポレーションから、ド・モンティーユ&北海道のジェネラルマネジャーに転身した矢野映さんが、フルスロットルで前例のない日仏混交プロジェクトに取り組んでいる。ブルゴーニュを100回以上訪問した国内で屈指のブルゴーニュワイン専門家。30年を超すキャリアをたどりながら、第二の人生を始めた矢野さんの目指す道を聞いた。
フランスの生産者が来日するたび、矢野さんが通訳する試飲会の場に何度も出席した。全く時差がなく、栽培・醸造の専門知識も正確。日本で最も優秀なワイン通訳だと痛感させられた。語学力の基礎は、料理人としてフランスで1年8か月間、働いた1980年代に培われた。
料理人からワイン・インポーターに転身
料理人の苦労を思い知って1988年5月に帰国。方向転換して、フランスに関係する仕事を、転職雑誌「ビーイング」で探して、ラック・コーポレーションに就職した。石油類の海上輸送会社「上野運輸商会」(本社・横浜)の子会社で、コンピューターのシステムやタンクローリーのリースが主要な事業だったが、1990年代に入ってワイン輸入に力を入れ始めた。
当初はブローカー経由のワインも含めて、手当たり次第に入れていたが、大手インポーターと正面から戦っても勝ち目はない。92年ごろからブルゴーニュに特化していった。ロバート・パーカーの日本語訳ガイド本「ブルゴーニュ」が出版されて、人気ドメーヌが百貨店のワインフェアで注目されるようになっていた。
エージェントのソシエテ・サカグチの坂口功一さんと連携して、ルソーやルフレーヴ、ラヴノーなど今ではコンタクトも困難なドメーヌと密接な関係を築いた。国内では桜町宣之、海老原英三さんら営業部隊が百貨店やホテルにドメーヌのワインを売り込んだ。97年には8ドメーヌの当主が来日する「ブルゴーニュの巨人たち」が開かれた。
試飲し、造り手と付き合いを深めるのが大切
90年代後半から毎年、海外出張するようになり、最後の15年は年に5回はブルゴーニュを中心にフランスの生産者を訪問していた。顧客の案内、社員研修の引率役も務めた。
「造り手と話さないと、顧客にも説明ができない。話せば話すほど、深い話がでてくる。蔵で試飲するのが重要なのです。造り手にも飲んでほしいという思いがある。年を重ねるほどに親近感が増します。パーカーの影響で売れ行きが変動した時期もありますが、最も大切なのは信頼関係。支払いを伸ばしたり、年によって取り引き量を減らすのは絶対してはいけないことです」
ブルゴーニュだけでなく、ボルドーのプリムールも担当し、毎年春に単身で出かけた。ニュージーランドやロワールも開拓した。栗山朋子さんのシャントレーヴのように、矢野さんの判断で輸入を始めた造り手もいる。
「生産者の希望と飲んでくださる方の希望がマッチするのは喜びです。売る気があれば、大半の造り手は普通に売れます。売れないとしたら、どこか集中力が欠けているからです。とはいえ、扱う金額が大きいのでストレスは大きい。チームの仕事なのでスタッフをうまく動かすのも大変でした」
ラック・コーポレーションは2001年、宝酒造に買収された。売上で比べると、ワイン販売の規模は小さい。ビジネスの特性を理解してもらうのに時間はかかったが、「ブルゴーニュのラック・コーポレーション」という市場の評価を理解してもらえたという。会社の軸となる輸入担当だけでなく、親会社への財務説明も重要な仕事だった。
60歳を区切りに副社長を辞任
2019年12月、社長に辞意を伝え、2020年3月でラックの副社長を辞任した。60歳。58歳ごろから60歳が区切りと考えていた。62歳まで役員を務めるのは可能だったが、疲れがたまっていたという。
第二の人生の青写真は特になかった。業界にあまねく知られる実績と能力をもってすれば、ラックと分野の重ならないインポーターなど引く手は数多だろうが、コロナ禍で身動きもとれず静かに休んでいた。「酒屋かワインバーでもやろうかなくらいに考えていた」という。
エティエンヌ・ド・モンティーユから、ジェネラルマネジャーの打診を受けたのは昨年12月。初めてのワインとなる2018年を送りたいと、エグゼクティヴ・オフィサーの石黒かおりさんからメールが届いた。「自前で購入しますから」と返事していたら、ワインが送られてきた。しばらくしてエティエンヌからのメール。
「マネージメントできる人間を探している。フランス語と英語ができるのが条件だ」
「自分ももう60で年だから」と返事すると、「私もたいして変わらない」とメールが戻ってきた。
矢野さんは元々、日本ワインにも関心が深かった。ドメーヌ・タカヒコもヴィラデストも、山梨のワイナリーも訪ねている。”チーム・リーダー”タイプのエティエンヌはパリで企業のM&Aをこなす弁護士を務めて、ビジネスマンの素養も備える。人間と組織を動かすプロだ。説得され、今年6月からジェネラルマネジャーを務めている。
立場が逆転し北海道ワインを世界に発信
石黒さんはブルゴーニュと日本を行き来しながら働いていたから、函館に腰を落ち着けたマネジャーは必要だった。国内の法律をクリアして地歩を固め、将来は海外輸出も構想しているプロジェクトに、会社経営とワイン産業に通じる矢野さん以上の適任者はいなかった。
栽培面積を増やしつつ、来年にはワイナリー建設を始める。億単位の資金が必要となる。農家との交渉、行政との許認可事務、テロワールのリサーチなど仕事は山ほどある。小世帯の会社を運営し、週に一度はミーティングして、スタッフが何を考えているかを把握する。時には畑で苗木を植えながら栽培責任者と話す。
函館に引っ越して6月3日に購入した乗用車の走行距離は、1か月で1000キロに達した。北海道新聞の取材を受けて、4回も記事が掲載された。市役所に行くとスター扱いで、名刺をせがまれる。裏方に徹してきた謙虚で控えめな性格だけに、ちょっととまどっている。
余市のドメーヌ・タカヒコの曽我貴彦さんから先日、「一緒に北海道ワインを世界的なブランドにしましょう」と声をかけられた。貴彦さんには余市だけでなく、北海道を世界にアピールできる産地にしたいという夢がある。それが、北海道、ひいては日本ワインの発展に通じると信じている。
エティエンヌ・ド・モンティーユという突破力のあるリーダーが牽引するド・モンティーユ&北海道の力は、北海道ワインがヨーロッパに出ていく上で強力な武器となる。それが貴彦さんの考えだ。
ブルゴーニュワインを輸入して日本に広めてきた矢野さんが、今度は逆にブルゴーニュ品種で造る日本ワインをヨーロッパに発信する。30年を超すキャリアと専門知識を生かして、これだけ充実した第二の人生を送るワイン業界人はほかにいないだろう。
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