世界の最新ワインニュースと試飲レポート

MENU

  1. トップ
  2. 記事一覧
  3. 尽きることのない自問自答 日本酒を世界のSAKEに 醸し人九平次醸造家 久野九平治

尽きることのない自問自答 日本酒を世界のSAKEに 醸し人九平次醸造家 久野九平治

  • FREE

自分は何者か どこに行くのか

 偉大なワインの造り手はすべからく、哲学を持っている。ボルドーのクリスチャン・ムエックスは「忍耐」を人生訓としている。ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのオベール・ド・ヴィレーヌは「献身」という言葉がよく似合う。優れたお酒を醸す人も同じだ。久野九平治の人生観を一言で表すなら、「自問自答」ということになるだろう。世界で評価される「醸し人 九平次」を造りながら、いまだに満足していない。

 

 江戸時代から続く造り酒蔵「萬乗醸造」に生まれながら、18歳で家を飛び出した。東京で劇団に入り、俳優になった。昼にレッスンを受け、夜はアルバイト。飲食店から首都高の道路維持作業まで、人生で最も働いた時期だった。

 


 人様の前で肉体を通して自己表現する。フィクションをリアルに見せるには説得力がいる。己を知らなければならない。ニューヨークの名門アクターズ・スクールで学んだ指導者に、問いを投げかけられた。

 


 <自分は何者なのか。どこから来て、どこに行くのか>

 


 何者でもなかった若者の心に、深く突き刺さった。自分に問いかけては、答えを探す日々が続いた。

 


 1993年、両親が病気になったため、26歳で実家に戻った。当時は頭が痛くなるような安酒を工業的に量産していた。酒屋に飛び込みで営業して歩いた。なかなか売れない。

 


 「大将、飲んでくださいよ」

 


 「わしは酒の味わからないから」

 


 商談の最後は値段の交渉になるのが常だった。

 


 ある時、飲酒業界の会合で、大手ビール会社の営業マンと隣り合わせた。

 


 「ラガーって何を意味するんですか」

 


 「知らないなぁ。10年間もビール売ってきたけど、酒屋にもお客さんにも、そんなことを聞かれたことはないね。ものが売れるのは、名前や中身じゃない。キャンペーンやコマーシャルよ。お兄ちゃんも、頑張りな」

 


 この一言で目が覚めた。通り一遍の営業トークで、お酒を売っていたら、この人と同じようになってしまう。そうなったら終わりだ。

 


 90年代半ば、地酒ブームが起きた。評判のお酒を買っては飲み、自分の中で尺度を作った。自信をもてないお酒を売っているのが申し訳ない気持ちになった。純米吟醸酒を本格的に造る。その方向に光が見えた。

 

 

産業的な安酒造りから脱却 吟醸・大吟醸酒に焦点を絞る

 

 純米大吟醸酒「醸し人九平次」を世に出したのが97年。これなら品評会で及第点をとれる。そう思うようになったころ、「義侠」で知られる山忠本家酒造(愛知・愛西市)の先代社長、山田明洋からお呼びがかかった。東京の「はせがわ酒店」の紹介で、付き合いがあったのだ。酒造りのアドバイスか、お客の紹介でもしてくれるのかな。いそいそと出けけたら--。

 


 「おまえはなぜ酒を造っているんだ。どんな酒を造りたいんだ」

 


 いきなり直球が飛んできた。

 


 変な返事をしたら怒られる。1時間半、黙りこむしかなかった。

 


 またこれか。役者時代の思い出がよみがえった。どこから来て、どこへ行くのか。問いかけに対する答えが出ないまま、悶々とした数年間を過ごした。手がかりをくれたのはワインだった。

 


 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの70年代のグラン・エシェゾーを飲んだ。お決まりのテイスティング・コメントではない言葉が次々に飛び出した。

 


 「子供の頃に、かくれんぼや鬼ごっこをした蔵の香りが鮮明によみがえった。懐かしさがこみあげました。赤ワインはろくろく飲んでいなかったけど、表面的ではないコメントがあふれてきた。包容力があり、上品で、優しい。そして懐かしい。お酒もワインも変わりない。我々が届けたいのはこれではないか」

 


 目の前に道がひらけた。もっと早く飲んでればよかったと後悔したが、半面で時間をかけて遠回りしたからわかったとも今では思える。

 

DRCでお酒の目指す方向に開眼 お酒とワイン造りをミックス

 

 昭和の高度成長期を大量生産の安価な酒で生き抜いた萬乗醸造は、2002年、吟醸と大吟醸酒しか造らない蔵となった。このころから、自分の蔵だけではない、日本酒を取り巻く状況が見えてきた。1980年をピークに、日本酒離れが進んでいた。日本酒に振り向いてもらいたい。久野はフランスで市場で、日本酒の価値を上げる挑戦に出る。良いものは国境や人種を超えるという信念があった。3つ星レストラン「ギィ・サヴォワ」で採用され、国際的な評価は高まった。

 


 フランスで、ワインにおけるブドウの大切さに改めて気づかされた。酒造りでのコメも同じだ。2010年から兵庫・西脇市黒田庄町で山田錦の自家栽培を始めた。米の栽培と酒造りが分離してきた酒造りの中で、これもまた新たな挑戦だった。

 


 久野の進化は、速度を上げて加速している。さんざん悩んできた分、走り出したら止まらない。15年にはブルゴーニュのモレ・サン・ドニにワイナリーを構え、ワイン造りに乗り出した。最古参のスタッフを現地に住まわせて、ネゴシアンの免許を取得。醸造設備を購入して、17年に初収穫と醸造にこぎつけた。酒蔵がブルゴーニュでピノ・ノワールを造るのは前代未聞だ。

 


 「ワインも日本酒も同じ醸造酒です。畑でブドウを栽培し、ワインを造る中で日本酒にもフィードバックすることがあるはず。やればヒントが生まれる。ミックスする先に、酒とワインの未来があると信じています」

 


 180センチを超す長身。ミュージシャンのような長髪。革新的なアイデアを次々と具体化してきた醸造家は、押しが強そうに見えるが、実際には謙虚で、つましい。今でも自分の酒を対面で差し出す時は、ドキドキしている。喜んでもらえるだろうかと。

 

ディスカバーの意味はカバーを外して実体を見ること

 

 「私が自分で考え出したことは一つもありません。色々な人に問いをなげかけられて、自分なりに反応しただけ。田んぼを買ったのも、フランスで『お米はどうなっているの』と聞かれて、自分たちでお米を育てていない後ろめたさを感じたから。頭のいい人は本を読んだだけで理解できるけど、僕はそうではない。職人なので、やってみないとわからない。最近気づいたのですが、『ディスカバー』とはカバーをとるという意味なんです。何もないところに見つけるのではなく、見えないようにしているカバーを外すことなんですね」

 


 日本酒が世界で最高と言いたいところだが、本拠地でワインを知っているからそうは軽々しく言えない。

 


 「日本ソムリエ教会に、SAKE DIPLOMA資格を作ってもらい、ワインの中に日本酒を入れてもらった。これは大きな一歩です。日本酒の価値の向上のために、まだまだできることは多い。セミナー講師の依頼があれば、どこでも飛んでいきます」

 


 アクティブに、日本酒の将来を見据えている。

久野九平治(くの・くへいじ) 
1965年生まれ。東京での舞台俳優を経て、名古屋で15代続く萬乗醸造に帰還。97年に醸し人九平次を始めた。パリにも輸出し、2015年からブルゴーニュでのワイン造りに乗り出した。
(ソムリエ 2018年164号掲載)

購読申込のご案内はこちら

会員登録(有料)されると会員様だけの記事が購読ができます。
世界の旬なワイン情報が集まっているので情報収集の時間も短縮できます!

Enjoy Wine Report!! 詳しくはこちら

TOP