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「Sommelier」(日本ソムリエ協会)2015年147号掲載
田崎真也氏が世界最優秀ソムリエになって、日本のワイン界に夜明けが訪れた。それから20年。大橋健一氏が世界最難関のワイン資格に合格し、日本のワイン界がグローバル化に向かう扉が開けた。オックスフォード卒のエリートも手こずる試験をいかに突破したのか。働き盛りの40代をささげた苦闘の歴史には、ビジネスで成功する秘訣が凝縮されており、グローバルな視点とは何かを学べる。
◎必ず合格するという強固な意思を持ち続ける
10年以上受験し続けても合格できず、脱落していくMWの受験生は少なくない。大橋MWは国内では一定の地位を築いていたが、それでは見えない世界があることに気づいた。困難な戦いに駆り立てたのは何か。くじけずに挑戦を続けられた原動力とは。
◎先輩MWのグローバルな視野にKO
Qワインアドバイザー選手権で日本一になり、仕事も順調。普通ならそこで満足するのに、MWを目指した理由は?
2003年、「自然派ワイン」を出版した後、友人のJAL客室乗務員(当時)の平出淑恵さんに言われました。日本一になって、本を出しても、今のままでは世界にインパクトは与えられない。もっと上を目指さないとだめと。そう言われても、顧客は国内や栃木にいる。興味が持てなかった。そのころ出会ったのが、ニュージーランド出身でMWになったばかりのサム・ハロップです。巨視的なものの見方に一発でKOされた。何だこの大人は。自分は子どもすぎた。サムみたいになりたいと思っちゃった。「弟子入りしたい」と言ったら、それは駄目だと。おまえのAOCの百科事典的な知識には舌を巻いている。MWにもそんなやつはいない。俺たちはそれをシェアする友人だと言ってくれた。すごい大人が子どもを対等に見てくれる。器の大きさにもKO。モチベーションが生まれました。
Q巨視的なものの見方とは。
コルクを例にとると、スクリューキャップを採用するなら、単に品質やエコフレンドリーという観点だけでなく、コルク産業と共存する発想が必要となります。天然コルクはポルトガルの主要な輸出産業。コルクの需要が減れば、雇用が失われ、国が不景気になる。MWは雇用促進のサステナビリティまで考慮に入れて、商品開発などの仕事をしなければならない。そのころは、ワイン産業に倫理はあるかと聞かれても、さっぱりわからなかった。グローバルな視点を持って、仕事するとはそういうことなんです。
Qのめりこむ性格だから。
確かに。大学時代はギター、働き始めてからのスキューバダイビングもそうです。受験に入ってからすべて止めましたが。
◎MWはワイン界のMBA ギルド的ネットワーク
QMWになるとどう変わると想定していましたか?レストランやスーパーのコンサルタントの仕事がくるとか。
情けないけど、そういうことを考える余裕はなかった。なるのが精いっぱいで。溺れそうな中、ようやく息継ぎ出来ているような状態でした。仕事の幅は広がりそうです。海外の大型リゾートホテル向けのリスト作り、アジアの有名ワインインポーターのための日本酒の選定、海外のワイン生産者からのマーケティングのコンサルタント、また、国内では、本来の酒屋の仕事を活かせる国内のワインバーやレストランからのワイン選定協力の依頼なども既にきています。海外のホテルの場合、日本のようにフランスワイン主体では通用しない。味わいやスタイルから、世界のワインを選んで、リストを作ります。
Qワイン産業にはなぜMWが必要なのか?
理由は2つあります。MWはぶっちゃけ、ワイン界のMBAなんです。コンサルなどで多額のギャラを払っても、ペイできる成果を出せる技能が求められているのではないでしょうか。私のメンター(師匠)のネッド・グッドウィン(日本在住で初のMWとなったオーストラリア人)はANAのコンサルタントをしていますが、彼の存在によって、機内搭載ワインがいかに優れているかが、多くの人々に認められるようになった。それは間違いない。ロンドンやオーストラリアのワイントレードの背後にはMWがいて、ワインの格付けや潮流を作っています。それが世界標準になるのです。もう一つは、MWの名声です。マスター・オブ・ワイン協会の理念は、どうしたらワイン業界に貢献し、MWの地位を向上させられるか。その理想をこれほど真剣に考えている業界団体はほかになかなか見当たりません。それだけに、横のつながりも強いギルド的な組織でもある。
◎失敗すると働き盛りの時期が台無し
Qくじけそうになったことは?
自分で決めたことだから、必ず突破する。その意思の力が大きかった。会社にも、仕事仲間にも、妻にも迷惑をかけてきました。皆が私の合格を信じて、好きなように進ませてくれた。精神的にも、肉体的にもつらかったので、一刻も早く突破したかった。
Q合格率は10%程度と言われるが。
実際の合格率は非常に低い。10年、15年掛けて突破した人も、その年の合格者に含まれます。その事情は日本人には、なかなかわかりにくい。2015年度に合格したのは19人ですが、授業などでよく知っている人はごくわずか。受験生の大半はマラソンランナーです。私は受験を始めて3年で受かったから中距離走者といったところかな。サム・ハロップのように、一発で理論と実技、論文まで合格して2年で終わる人間はめったにいません。
Q長期戦は考えなかった?
それは絶対に避けたかった。試験を始めてからは一気に行く。サムにも合格する自信がないなら受けるなと言われた。準備には時間をかけました。サムはこうも言ってくれた。結果が出ないと、疲れてしまって、人生で最も重要な働き盛りの時期を台無しにすると。私はプログラムに入った42歳から48歳までの6年間を、試験のための勉強に費やしてきました。本来は最も仕事をする時期です。重責がある。落ちるわけにはいかない。そう思って受けていました。根気と絶対に受かるという意思がないと無理。それでも受からない人はたくさんいるけれど……。
マスター・オブ・ワイン(MW)
戦後にロンドンのワイン業界の教育目的で始まり、1953年に最初の試験が行われて6人が合格。1988年には外国人への門戸が開かれた。受験資格はWSETのディプロマ以上。マスター・オブ・ワイン協会の学習プログラムに入学して、MWから講義を受けて、ステージ2の評価を通れば、実技(試飲)と理論を受験できる。それに合格した後、最後の論文が受かればMWになれる。28か国に370人。ワイン商、ワインメーカー、コンサルタント、教育者、ジャーナリストなどで活躍している。世界最優秀ソムリエのジェラール・バッセとマルクス・デル・モネゴも資格を有する。名前の後に「MW」をつけられる特別な存在。世界の市場を動かす影響力を持ち、あらゆるワイナリーへのパスポートが手に入る。
大橋健一MW プロフィル
1967年、宇都宮市生まれ。酒類専門店「山仁酒店」(宇都宮市)社長。コンサルタント会社「レッドブリッジ」を経営し、業務酒販の全国ネット「サマーソールト」(本社・愛知県)の役員も務める。インターナショナル・ワイン・チャレンジのSake審査委員長。慶応大卒。1999年、全国ワインアドバイザー選手権で優勝。著書に「自然派ワイン」
受験略史
2003 36歳でサム・ハロップMWと出会う
2006 WSETディプロマ取得
2009 MWの学習プログラムに入学
2010 最初の評価で及第せず、1年目をやり直し
2011 2年目の評価に合格
2012 じっくりと試験の準備期間
2013 実技(プラクティス)合格
2014 理論(セオリー)合格
2015年9月 論文(リサーチ・ペーパー)合格
肩書やデータは当時のまま。
田崎真也氏が世界最優秀ソムリエになって、日本のワイン界に夜明けが訪れた。それから20年。大橋健一氏が世界最難関のワイン資格に合格し、日本のワイン界がグローバル化に向かう扉が開けた。オックスフォード卒のエリートも手こずる試験をいかに突破したのか。働き盛りの40代をささげた苦闘の歴史には、ビジネスで成功する秘訣が凝縮されており、グローバルな視点とは何かを学べる。
◎必ず合格するという強固な意思を持ち続ける
10年以上受験し続けても合格できず、脱落していくMWの受験生は少なくない。大橋MWは国内では一定の地位を築いていたが、それでは見えない世界があることに気づいた。困難な戦いに駆り立てたのは何か。くじけずに挑戦を続けられた原動力とは。
◎先輩MWのグローバルな視野にKO
Qワインアドバイザー選手権で日本一になり、仕事も順調。普通ならそこで満足するのに、MWを目指した理由は?
2003年、「自然派ワイン」を出版した後、友人のJAL客室乗務員(当時)の平出淑恵さんに言われました。日本一になって、本を出しても、今のままでは世界にインパクトは与えられない。もっと上を目指さないとだめと。そう言われても、顧客は国内や栃木にいる。興味が持てなかった。そのころ出会ったのが、ニュージーランド出身でMWになったばかりのサム・ハロップです。巨視的なものの見方に一発でKOされた。何だこの大人は。自分は子どもすぎた。サムみたいになりたいと思っちゃった。「弟子入りしたい」と言ったら、それは駄目だと。おまえのAOCの百科事典的な知識には舌を巻いている。MWにもそんなやつはいない。俺たちはそれをシェアする友人だと言ってくれた。すごい大人が子どもを対等に見てくれる。器の大きさにもKO。モチベーションが生まれました。
Q巨視的なものの見方とは。
コルクを例にとると、スクリューキャップを採用するなら、単に品質やエコフレンドリーという観点だけでなく、コルク産業と共存する発想が必要となります。天然コルクはポルトガルの主要な輸出産業。コルクの需要が減れば、雇用が失われ、国が不景気になる。MWは雇用促進のサステナビリティまで考慮に入れて、商品開発などの仕事をしなければならない。そのころは、ワイン産業に倫理はあるかと聞かれても、さっぱりわからなかった。グローバルな視点を持って、仕事するとはそういうことなんです。
Qのめりこむ性格だから。
確かに。大学時代はギター、働き始めてからのスキューバダイビングもそうです。受験に入ってからすべて止めましたが。
◎MWはワイン界のMBA ギルド的ネットワーク
QMWになるとどう変わると想定していましたか?レストランやスーパーのコンサルタントの仕事がくるとか。
情けないけど、そういうことを考える余裕はなかった。なるのが精いっぱいで。溺れそうな中、ようやく息継ぎ出来ているような状態でした。仕事の幅は広がりそうです。海外の大型リゾートホテル向けのリスト作り、アジアの有名ワインインポーターのための日本酒の選定、海外のワイン生産者からのマーケティングのコンサルタント、また、国内では、本来の酒屋の仕事を活かせる国内のワインバーやレストランからのワイン選定協力の依頼なども既にきています。海外のホテルの場合、日本のようにフランスワイン主体では通用しない。味わいやスタイルから、世界のワインを選んで、リストを作ります。
Qワイン産業にはなぜMWが必要なのか?
理由は2つあります。MWはぶっちゃけ、ワイン界のMBAなんです。コンサルなどで多額のギャラを払っても、ペイできる成果を出せる技能が求められているのではないでしょうか。私のメンター(師匠)のネッド・グッドウィン(日本在住で初のMWとなったオーストラリア人)はANAのコンサルタントをしていますが、彼の存在によって、機内搭載ワインがいかに優れているかが、多くの人々に認められるようになった。それは間違いない。ロンドンやオーストラリアのワイントレードの背後にはMWがいて、ワインの格付けや潮流を作っています。それが世界標準になるのです。もう一つは、MWの名声です。マスター・オブ・ワイン協会の理念は、どうしたらワイン業界に貢献し、MWの地位を向上させられるか。その理想をこれほど真剣に考えている業界団体はほかになかなか見当たりません。それだけに、横のつながりも強いギルド的な組織でもある。
◎失敗すると働き盛りの時期が台無し
Qくじけそうになったことは?
自分で決めたことだから、必ず突破する。その意思の力が大きかった。会社にも、仕事仲間にも、妻にも迷惑をかけてきました。皆が私の合格を信じて、好きなように進ませてくれた。精神的にも、肉体的にもつらかったので、一刻も早く突破したかった。
Q合格率は10%程度と言われるが。
実際の合格率は非常に低い。10年、15年掛けて突破した人も、その年の合格者に含まれます。その事情は日本人には、なかなかわかりにくい。2015年度に合格したのは19人ですが、授業などでよく知っている人はごくわずか。受験生の大半はマラソンランナーです。私は受験を始めて3年で受かったから中距離走者といったところかな。サム・ハロップのように、一発で理論と実技、論文まで合格して2年で終わる人間はめったにいません。
Q長期戦は考えなかった?
それは絶対に避けたかった。試験を始めてからは一気に行く。サムにも合格する自信がないなら受けるなと言われた。準備には時間をかけました。サムはこうも言ってくれた。結果が出ないと、疲れてしまって、人生で最も重要な働き盛りの時期を台無しにすると。私はプログラムに入った42歳から48歳までの6年間を、試験のための勉強に費やしてきました。本来は最も仕事をする時期です。重責がある。落ちるわけにはいかない。そう思って受けていました。根気と絶対に受かるという意思がないと無理。それでも受からない人はたくさんいるけれど……。
マスター・オブ・ワイン(MW)
戦後にロンドンのワイン業界の教育目的で始まり、1953年に最初の試験が行われて6人が合格。1988年には外国人への門戸が開かれた。受験資格はWSETのディプロマ以上。マスター・オブ・ワイン協会の学習プログラムに入学して、MWから講義を受けて、ステージ2の評価を通れば、実技(試飲)と理論を受験できる。それに合格した後、最後の論文が受かればMWになれる。28か国に370人。ワイン商、ワインメーカー、コンサルタント、教育者、ジャーナリストなどで活躍している。世界最優秀ソムリエのジェラール・バッセとマルクス・デル・モネゴも資格を有する。名前の後に「MW」をつけられる特別な存在。世界の市場を動かす影響力を持ち、あらゆるワイナリーへのパスポートが手に入る。
大橋健一MW プロフィル
1967年、宇都宮市生まれ。酒類専門店「山仁酒店」(宇都宮市)社長。コンサルタント会社「レッドブリッジ」を経営し、業務酒販の全国ネット「サマーソールト」(本社・愛知県)の役員も務める。インターナショナル・ワイン・チャレンジのSake審査委員長。慶応大卒。1999年、全国ワインアドバイザー選手権で優勝。著書に「自然派ワイン」
受験略史
2003 36歳でサム・ハロップMWと出会う
2006 WSETディプロマ取得
2009 MWの学習プログラムに入学
2010 最初の評価で及第せず、1年目をやり直し
2011 2年目の評価に合格
2012 じっくりと試験の準備期間
2013 実技(プラクティス)合格
2014 理論(セオリー)合格
2015年9月 論文(リサーチ・ペーパー)合格
肩書やデータは当時のまま。
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