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フランスの模倣でなく、日本固有のうま味
世界が認める曽我貴彦のピノ・ノワール
日本ソムリエ協会2021年1月刊「Sommelier」178号掲載
日本を代表する醸造家の1人であるドメーヌ・タカヒコの曽我貴彦さんもまた、余市の産地としての持続性を真剣に考えている。余市がワイン産地として発展しているのは、2010年に余市町登地区に果樹園だった4.6ヘクタールの畑を購入し、ワインを造り始めた貴彦さんの存在があってこそだ。
曽我さんにあこがれて研修した弟子たちが、ドメーヌ・アツシ・スズキ(鈴木淳之)やドメーヌ・モン(山中敦生)を立ち上げた。
だが、貴彦さんにとって大切なのは、スター・ワインメーカーになることではない。余市町の栽培農家の人々もワインを造れるようになって、余市を中心とした産地がブルゴーニュの小さな村のように、発展していくことだ。
ドメーヌの醸造所に入ると、合成樹脂製の白い発酵槽が目に入る。ブルゴーニュで、開放式の木製発酵槽やステンレスタンクを見慣れた人間には、一見さえない容器に映る。しかし、何十万円もするステンレスタンクではなく、10万円もしないポリ容器だからいいのだ。
余市に50軒いるブドウ栽培農家も気軽にワイン造りを始められる。彼自身も1000万円の元手でワイナリーを始めた。それがサステイナブルということなのだ。
彼の頭の中には、農民がコストをかけずにワイン造りを始められるにはどうしたらいいかという思考が渦巻いている。言葉のはしばしから、余市を産地を発展させていくという使命感を感じる。それはまた、彼がこの土地で栽培家として生きていくための必要条件でもある。
貴彦さんもまた、農楽蔵と同じクリーン・ナチュラルな自然派ワインをものにしている。野生酵母で発酵させ、亜硫酸は使用せず、全房発酵を用いる。無造作に造っているように見えて、東京農大で微生物の研究をした彼は、揮発酸やバクテリア汚染のリスクを知り尽くしている。破綻はない。
彼の話を聴いているうちにふと、ある言葉を思い出した。
「化学製品を回避するためには、ワインに関する化学を知りぬかねばならない」
自然派ワインの父と呼ばれたジュール・ショヴェが残した名言だ。彼も微生物研究から始め、野生酵母の使用や亜硫酸の抑制を早くから唱えた醸造家だ。
ドメーヌ・タカヒコを代表する「ナナツモリ ピノ・ノワール」や「ナナツモリ ブラン・ド・ノワール」を試飲すると、全房発酵で仕込んで熟成したドメーヌ・デュジャックのピノ・ノワールに通じるうま味を感じる。
うま味がある(セイバリー)はここ5年ほどで、試飲コメントの用語として、すっかり定着した。我々日本人にはわかりやすい感覚なのだが、ヨーロッパやアメリカの評論家や造り手にも、興味深い味わいとして広がっている。
英国の評論家たちは、「セイバリー」と並行して、「チョーキー」「アーシー」「ハーバル」「ミネラリー」などの表現を用いる。ピノ・ノワールは「ミネラル感」という言葉で表現されがちだが、貴彦さんはうま味のあるピノ・ノワールで世界と勝負しようと考えている。
いや、正確に言うと勝負ではない。勝ち負けに挑もうとは思っていない。
それが日本の農村から生まれるピノ・ノワールだと確信しているからだ。ブルゴーニュのようにミネラル感や果実味を追うのではなく、うま味のエキスあふれるピノ・ノワール。彼のワインからはピノ・ノワールに限らず、神社の裏の湿った香りや出汁に通じる滋味を感じる。世界の中で余市にしかない個性的な風味だ。
ココ・ファーム・ワイナリーの農場長として、全国の畑を歩いてきた彼は「ワインはその土地の農家のおばあちゃんが仕込んできた漬物みたいなもの」という結論にたどり着いた。日本人の栽培家が「場所の文化」であるワインを、根を下ろした土地で造るなら必然的にそうなる。
「ナナツモリ ピノ・ノワール 2017」は2020年、世界のベストレスラン50でトップに輝いたコペンハーゲンの「ノーマ」にオンリストされた。ロンドンの評論家だけでなく、パリのソムリエたちにも評価されている。
パリのソムリエに聞いた話だが、フランス人ソムリエがナナツモリをブラインドで飲んだ際、「これはブルゴーニュじゃないか」という称賛の声が上がったそうだ。
それを伝えると、貴彦さんからは予想通りの反応が返ってきた。
「うれしいけど、それで日本人として喜んでいてはいけない」
彼はフランスを模倣しているわけではない。日本にしかできないワインを日本人として造っている。そうした信念が、ドメーヌ・タカヒコの独自性につながっている。ひいては英国を代表するジェイミー・グッドやジャンシス・ロビンソンらからの高い評価を呼び込んでいる。
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