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あいまいになる新旧世界の境界 南アフリカから探る

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「Sommelier」(日本ソムリエ協会)2017年掲載

 

宗教と植民地政策で広まった新世界ワイン

 

 新世界と旧世界という区分がワイン界にはある。旧世界はヨーロッパと地中海沿岸を指す。ワイン用ブドウブドウ樹の栽培が各地に広がった4世紀以来の長い歴史と伝統を持つ。新世界はこれに対して、植民地政策とともにワイン生産が広がった国々をさす。新世界ワインの世界輸出が広がった1980年代以降に、両者は対比すべき概念として広がった。だが、21世紀に入ってその境界はあいまになってきた。その原因を考える前に、ワイン造りの歴史的な背景を振り返っておこう。

 

 スペインのプリオラートを世界のワイン地図に載せた4人組の1人アルバロ・パラシオスとかつて、現地で話した時のことだ。プリオラートでは、中世のスカラデイ修道院がワイン造りを始めた歴史がある。

 

 「プリオラートに限らず、世界の大半の銘醸産地は宗教と結びついている。ブルゴーニュでも、シャンパーニュでも、ドイツでも。修道院が築かれ、勤勉な修道僧たちが、ブドウを最適な畑に植え、ワイン造りを発展させてきた」

 

 旧世界で重要な役割を果たした宗教の布教は、新世界でも、植民地化とセットでワイン造りの原動力となった。オーストラリアでは1878年、ニュー・サウス・ウェールズ州初代総督のアーサー・フィリップ英国海軍大佐が、シドニーでブドウ栽培を始めた。そのオーストラリアから英国人宣教師が、ニュージーランドにブドウ樹をもたらしたのは1819年だった。南米では、カトリックの伝道者が1550年代にペルーで、その後すぐにチリで、ブドウ樹を植えた。アメリカでも、フランシスコ修道会が18世紀後半に、現在のメキシコからカリフォルニアにかけて、スペイン原産のワイン用ブドウを広めた。

 

 今回のテーマとなる、南アフリカでも植民地化がワイン産業と結びついている。その歴史は、17世紀の大航海時代にさかのぼる。アフリカ最南端の喜望峰の発見により、オランダ東インド会社は、ケープタウンを寄港地とするようになった。初代総領事のヤン・ファン・リーベックがブドウ栽培を始めたのは1655年のこと。それから4年後にケープ最初のワインが誕生した。

 

グローバリゼーションが果たした役割

 

 ワインの世界では、「ボルドーと区別がつかない」とか「ブラインドならブルゴーニュと間違える」などの表現が、新世界ワインへのほめ言葉に使われる。その意味で言うなら、これまで示したカリフォルニア、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカには、お手本としてきたフランスワインと区別のつかないワインが大量に生まれている。新世界と旧世界のワインの特色はしばしば、「トラディション」vs「モダン」という言葉で表現される。スタイルで言えば、「テロワール」vs「ヴァラエタル」、味わいで言えば「ミネラリー」vs「フルーティ」。そうした図式で対比されてきたが、単純な二分法では割り切れなくなっている。

 

新旧世界の境目が不明瞭になった原因とは何か?

 

 一言で言えば「グローバりゼーション」という答えになるだろう。大航海時代にヨーロッパ諸国が植民地を世界各地に作り始めたのを、グローバリゼーションの発祥とするなら、20世紀後半に起きた多国籍企業の成長、自由貿易の拡大と競争、ITが加速させたヒト・モノ・カネの流動化は、ワイン産業にもそのままあてはまる。

 

 わかりやすい例を挙げよう。1976年のパリテイスティングでカリフォルニアの潜在力に気づいたシャトー・ムートン・ロートシルトは2年後、ナパヴァレーでジョイント・ヴェンチャー「オーパスワン」を始めた。ムートン帝国はその後、チリにも版図を拡大した。フランスの技術やマーケティングの新世界への移転は、80年代以降、急速に進んだ。LVMHやルイ・ロデレールなどの大手メゾンは、カリフォルニア、オーストラリア、ニュージーランドでスパークリングワイン生産を始めた。今やインドや中国での現地生産も始めている。スパークリングワイン造りの技術は、世界に広がっている。

 

 企業だけではない。優れたワインメーカーたちが、世界を飛び回り、最新のワイン造りのノウハウを広めている。メルロの最高峰「ペトリュス」をほぼ半世紀にわたり造ってきた醸造家ジャン・クロード・ベルーエは、中国やイスラエルでコンサルタントを務めている。ブルゴーニュのシャンボル・ミュジニーを代表するドメーヌ・コント・ジュルジュ・ド・ヴォギュエの守護神フランソワ・ミエは、ニュージーランドのセントラル・オタゴのプロフェッツ・ロックでコラボレーションしている。彼らはワイン造りのプロだが、伝統産地でワインを売ってきたトップ生産者の下で働いてきた。人脈やワイン産業の背景知識も伝わったと考えられる。

 

 伝統産地は中世からの試行錯誤にたって、土地に最適な品種、栽培方法、醸造の手法などを構築してきた。それを最大公約数で集約したのが原産地呼称制度などのワイン法ともいえる。新世界の生産国は、そのノウハウを短期間で取得し、ワイン造りを急発展させた。だから、ヨチヨチ歩きのカリフォルニアワインが、ボルドーやブルゴーニュを打ち負かすような事件が起きた。

 

世界で最も美しいワイン産地の一つ

 

 南アフリカを取り上げるのは、世界のプロフェッショナルが知っていなければならない産地だからだ。英米のトップ評論家たちは、フランスやイタリアと同様に、毎年のように南アフリカを訪問している。それなのに、日本ではあまり知られていない。

 

 南アフリカは完全な新世界とは言えないかもしれない。18世紀からワインをヨーロッパに輸出してきた。コンスタンシアの甘口ワインは、ナポレオンやイギリス、フランスの貴族に愛されていた。ワイン産業の発展を阻害したのは、アパルトヘイト政策と孤立主義だった。1994年に撤廃されてからは、恵まれたテロワールを生かしてヨーロッパのライバルとなるワインを産している。

 

 ワイン醸造には技術が必要だが、テロワール以上のものはできない。南アフリカは穏やかな地中海性気候で、ブドウは順調に育つ。ワイン生産の中心となる西ケープ州の州都ケープタウンは南緯33度に位置する。シドニーとほぼ同じだが、南極から大西洋に流れるベンゲラ海流の影響で、冷涼さが保たれている。降雨量は少ない。ステレンボッシュで年間730ミリ前後。内陸部では灌がいが必要となる。

 

 ケープ地方の土壌はワイン産地として最も古いといわれる。風化した花崗岩、砂岩、頁岩が入り混じる。その土壌から出来上がったのが、ケープタウン南部にある観光スポットのケーブルマウンテンだ。切り立った崖と平らな山頂は、一度見たら忘れられない。同様の切り立った岩山に産地の随所で出会う。そのダイナミックな風景は、ほかのワイン産地では見られない。湖と山々が織りなすニュージーランドのセントラル・オタゴと並んで、世界で最も美しいワイン産地と言えよう。

 

 南アの原産地呼称制度「ワイン・オブ・オリジン」(WO)は1973年、ヨーロッパを参考に制定された。「リージョン」(region)、「地区」(district)、「小地区」(ward)の3層システムになっている。最も知名度が高いのは、ステレンボッシュ(Stellenbosch)、パール(Paarl)、スワートランド(Swartland)などを含む「コースタル・リージョン」(Coastal region)である。近年になって、最も注目されているのがケープ・サウス・コースト・リージョン(Cape south coast region)である。優れたブルゴーニュ品種を産している。

 

ブルゴーニュ品種に優れるエルギンとウォーカー・ベイ

 

 地域の中では、エルギン(Elgin)とウォーカー・ベイ(Walker Bay)地区から目が離せない。南アは発展途上なので、WOも短期間で変わる。つい最近も、コースタル・リジョンに含まれていた「ケープ・ペニンシュラ」(Cape Peninsula)地区のコンスタンシア(Constantia)とオートベイ(Hout Bay)、「タイガーバーグ」(Tigerberg)地区のダーバンヴィル(Durbanville)とフィラデルフィア(Philadelphia)の4つの小地区をまとめた「ケープタウン」(Capetown)地区が誕生した。エルギンとウォーカー・ベイ地区も、オーヴァーバーグ(Overberg)地区から独立した。

 

 エルギンはケープタウンから南東に車で2時間弱。ウォーカー・ベイはさらに下り、ホエール・ウォッチングの基地ハーマナス(Hermanus)のあるウォーカー湾に面している。いずれも大西洋の影響が強い。南アで最も冷涼な産地であり、最高気温が30度を超すことはほとんどない。

 

 エルギンは標高200メートル以上のヴァレーに、小さな丘が連なっている。走っていると、ブドウ畑よりリンゴ畑の方が多い。栽培面積のうち8割はリンゴを中心とした果樹園だ。地形は異なるが、カリフォルニアのロシアン・リヴァー・ヴァレーを思い出した。シャルドネで名高いキスラーの周辺には、いまだにリンゴ畑が多い。リンゴを植えるしかなかった涼しい畑にシャルドネを植えて成功したのだ。ロシアン・リヴァー・ヴァレーは、8月に訪れても、半袖だと鳥肌が立ちそうなほど涼しい。

 

 エルギンの畑を吹き抜ける風も、収穫を終えた3月末でもかなり涼しい。1980年代にはほとんどブドウ畑がなかったが、ポール・クルーヴァー(Paul Cluver)が1990年代に先駆者となって、ブドウを植えた。クルーヴァーはシャルドネ、ピノ・ノワール、リースリング、ゲヴュルツトラミネールを生産しているが、いずれも抑制されたスタイルで、酸と熟度のバランスがいい。シャルドネは部分的なマロラクティック発酵にとどめて、フレッシュ感を保っている。

 

MWが造るリチャード・カーショウ・ワイン

 

 新世界というと、日照に恵まれたフルーティなスタイルというイメージを抱く向きも多いが、エルギンのスタイルは全く異なる。冷涼な気候を生かした抑制的なスタイルという世界のトレンドと合致している。その最先端を走るのが、新参生産者のリチャード・カーショウMWだ。2011年にマスター・オブ・ワインに合格し、2012ヴィンテージからリチャード・カーショウ・ワイン(Richard Kershaw Wines)を始めた。MWは世界のトレンド、栽培・醸造、マーケティングなどに通じている。普通のワイナリーが、コンサルタントを雇ったり、大手ワイナリーを経験したマーケティング担当者を配置するところを、独力で造り上げることができる。

 

 口を開けば、怒涛のようにデータがあふれ出し、科学的な知識に裏付けられた哲学を披歴する。ワイン造りに最も重要なのは、知識ではなく、哲学である。そう語ったリッジのポール・ドレイパーを思いだした。

 

 「畑の標高は305メートル。豪ヴィクトリア州のアッパー・ヤラヴァレーと同じ。海からの距離は20キロ。収穫期の平均気温は19.7度で、ボルドーとほぼ同じ。南アで唯一の自然の境界(山脈)で区切られた小地区だ。風化した頁岩、テーブルマウンテンのような砂岩、花崗岩を含む砂礫が広がっている。頁岩は骨組み、砂岩はフレッシュ感やミネラル感、花崗岩はデリカシーをもたらす。涼しい気候の方が管理しやすい。発酵がゆっくりと進む。特定の香りの放出を助け、マンノたんぱく質の自己溶解が生む骨組みと口当たりをもたらすからね」

 

 人為的な介入をしすぎることなく、産地のテロワールを表現している。野生酵母で発酵し、シャルドネのマロラクティック発酵は20-30%にとどめて、熟成の新樽比率もおさえている。ミネラル感あふれるシャルドネは、ピュリニー・モンラッシェを連想させた。カーショウは、シラーも手掛けている。黒コショウの風味が強く、クール・クライメット・シラーの美しいお手本だった。シャルドネとシラーのクローン違いのマイクロキュヴェも少量生産している。香りやテクスチャーが微妙に異なるワインからは挑戦精神と探究心がうかがえた。

 

 英国生まれのカーショウが、アフリカの最南端で、最先端のワインを造っている。これこそがグローバリゼーションを反映した現象といえる。人間と情報の交流によって、世界的なワイン造りの水準が上がる。彼のようなワインメーカーが先端の情報を産地で共有することによって、新しい産地が急速に発展していく。カリフォルニアやオーストラリア、ニュージーランドも新興産地として、同じことを経験してきた。

 

新旧世界の生産者同士の交流

 

 エルギンから海を目指してさらに下ったウォーカー・ベイには、秀逸なピノ・ノワールの生産者がいる。1970年代まではだれもブドウを植えていなかったが、ハミルトン・ラッセル(Hamilton Russel)が1975年にワイナリーを設立。ハーマナスの北のヘメル・アン・アード・ヴァレー(Hemel-en-Aarde)で、ピノ・ノワールとシャルドネを生産し始めた。

 

 ハミルトン・ラッセルのワインメーカーを務めたケヴィン・グラントが始めたアタラクシア・ワイン(Ataraxia Wines) のシャルドネとピノ・ノワールは、ブルゴーニュの優れた生産者とわたりあえる。花崗岩、砂岩、頁岩など土壌を考慮しながら、アルコール度が高くなりすぎないエレガントなワインを産する。熟成用の新樽比率を調整し、ピノ・ノワールは全房発酵を部分的に導入している。グラントはフランスやオレゴン、ニュージーランドで修業を積んだ。

 

 新旧世界の生産者同士の交流は1990年代以前とは、比べようもないほど盛んになっている。ブルゴーニュやローヌの後継者が、新世界で学ぶ例も増えている。エルミタージュの最高峰シャーヴの当主ジャン・ルイ・シャーヴは、米国ハートフォード大でビジネスのMBAを取得し、カリフォルニア大学デイヴィス校で醸造学を学んだ。ブルゴーニュのドメーヌの後継者の多くが、オレゴン、ニュージーランド、オーストラリアなどで研修している。1980年代までのブルゴーニュの生産者は、外国どころかよその土地に出かけることも少なかった。先祖伝来のワイン造りを継承し、生産者同士の横のつながりも希薄だった。現在の30代、40代の造り手たちは、英語を話し、米国にプロモーションに出かける。ボトルを持ちより、情報交換することにも抵抗がない。

 

 南アフリカでも同様の構図が見られる。若き生産者たちはフランスやオーストラリアでワイン造りを学ぶ。生産者の連帯組織として有名なのが、スワートランド・インディペンデント・プロデューサーだ。スワートランドはイーベン・サディが世界の注目を集めた産地だ。シュナン・ブランやローヌ品種で知られる。単一畑のシュナン・ブランを手がけるマリヌー (Mullineux) 、極少量生産のラール(Rall)、ピノタージュも手がかけるデヴィッド&ナディア(David & Nadia)ら二十数生産者が加盟する。培養酵母、補糖などを禁じ、自然なワイン造りを規定として掲げている。どのワインも自然派ワインの領域に入る滋味深い味わい。生産者同士で活発に情報交換し、プロモーションもしている。

 

現在進行形の南アの格付け

 

 サディはマスター・オブ・ワインのワインメーカー(醸造家)が選ぶ2017年の「ワインメーカーズ・ワインメーカー・アワード」に選ばれた。スワートランドと南アフリカをワイン地図に載せた功績が評価された。南アフリカには、キャシィ・ヴァン・ジルMWが編集を担当する「プラッターズ・ガイド」が存在する。英国のティム・アトキンMWは毎年のように訪問し、格付けを発表している。これらは評論家やバイヤーの評価基準となっている。

 

 旧世界では格付けが大きな役割を果たしてきたが、ボルドーの格付けができたのは、わずか1世紀半前の話である。原形を作ったクルティエたちにとっては、商売を別として、楽しい作業だっただろう。基盤が出来あがった生産国ではなく、発展途上の新世界生産国を発見するのは、ワイン愛好家として、知的興奮をそそられる。

切り立った山々がそびえるウォーカー・ベイのアタラクシア
テーブル・マウンテンから臨むケープタウン
テーブル・マウンテン国立公園で保護されている絶滅危惧種のアフリカン・ペンギン
キャシィ・ヴァン・ジルMWをメンターに抱くリチャード・カーショウMWと大橋健一MW
スワートランド・インディペンデント・プロデューサーに属するクリス&アンドレア・マリヌー夫妻
南アを世界地図に載せたイーベン・サディ

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