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シャンパーニュのメゾン・クリュッグを飛躍的に発展させたマギー・エンリケスCEOが、モエ・ヘネシーを来年3月に去る。後任はMHCS(モエ・ヘネシー・シャンパーニュ・サービス)社長のマニュエル・レマン。モエ・ヘネシーのフィリップ・シャウスCEOが16日に発表した。
エンリケスはベネズエラ生まれ。システム・エンジニア出身で、子育てしながらハーバードでMBAを取得した。メキシコのナビスコを経て、ワイン業界に入った。2001年にアルゼンチンのボデガス・シャンドンとテラサス・デ・ロス・アンデスの社長兼CEOとしてモエ・ヘネシーに入社。多額の債務を抱えたアルゼンチンでワイナリーを発展させて、2009年にメゾン・クリュッグの社長に任命された。
2008年のリーマンショックで落ち込んでいたシャンパーニュ業界で、巧みなマーケティングにより、収益の落ちていたクリュッグを立て直した。。2008年の販売量は35%減、2009年は40%減だった。モエ・ヘネシーの彼女に対する最初の査定は極めて低かったという。
創業者ジョセフ・クリュッグが築いたグランド・キュヴェの価値を市場に再認識させた。毎年のブレンドに対応するエディション番号を付けて、それをロゼにも広めた。当時のシェフ・ド・カーヴの故アンリ・クリュッグは抵抗したが、シャンパーニュ造りの詳細がウェブでわかるIDをラベルに記載し、透明性を高めた。
3つ星シェフや音楽とのペアリングなどのイベントも行い、ラグジュアリーなシャンパーニュを楽しむライフスタイルを打ち出した。
パリからランスに通い、毎日数時間の睡眠で働く猛烈な仕事ぶりと家庭を両立させ、ライフスタイル雑誌で紹介された。日本がクリュッグのNo.1市場として不動の地位を固めて、入手困難になったのは彼女の存在なくしてはありえない。
2020年にはジュリー・カヴィルを初の女性シェフ・ド・カーヴに起用。クロ・ダンボネイを生産拠点とするプロジェクトも始動させた。高品質にもかかわらず、陰りの見えていたクリュッグの売り上げを回復し、高級シャンパーニュの頂点に導いた。
44歳のマニュエル・レマンは、2002年にフランスのボストン・コンサルティング・グループで戦略コンサルタントとしてキャリアを始めた。2005年にモエ・エ・シャンドンにスペシャル・プロジェクト・マネージャーとして参画。モエ・ヘネシー・スペインのマネージング・ディレクターを経て、2020年9月にMHCSの社長に就任した。
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