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人柄が生むものづくりの力 島正博 島精機製作所会長

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「ギブ・アンド・ギブン」の精神

 

日本ソムリエ協会「Sommelier」180号掲載


 日本のものづくりの力が弱くなっている、と様々なメディアで言われている。”紀州のエジソン”と呼ばれる84歳の発明家に出会って、わかったことが1つある。画期的なものはつまるところ、豊かな人間性から生まれるのだと。


 終戦を迎えた時は8歳。戦争で父を失い、家は焼け落ちた。祖父母、母、妹を支える大黒柱となった。地面に図面を描いて、墓地から拝借した角塔婆を柱にバラック小屋を建てた。


 がれきを取り除いて100坪の畑を作り、ナスやサツマイモなどの野菜を栽培した。食べきれない分は天ぷらにして商売にした。配給では見かけない貴重品だった。


 野菜を揚げるのに油がいる。闇市の天ぷら屋から油を譲ってもらうため知恵を絞った。川に仕掛けをして捕まえたうなぎを持っていくと、一升瓶に油を分けてくれた。


 父が戦死したことを告げて、復員したばかりの天ぷら屋から同情されたとはいえ、これなら立派な商売である。


 「相手の気持ちにたって考えるんです。『ギブ・アンド・ギブン』の精神を大切にしてきました。テイクではなく、与えられる(ギブン)こと。どうしたら相手がよくなるかを考えて、こちらから提供すると、何かが与えられると思っています」


 家作りに、うなぎの仕掛け。だれから教わったわけでもないのに、自分で工夫した。1200件もの特許をとった発明家の片鱗が垣間見える。


 同時に、相手に誠意を尽くすという商売の基本も芽生えている。この考え方はビジネスをするようになっても変わらない。それが、事業で危機の克服にも役立った。


小学生で発明家の芽生え
相手に与えれば戻ってくる


 和歌山工業高校の夜学に通っていた時代、昼間は隣家の編み機修理工場で働いた。ゴム入り安全手袋編み機を発明するなど、街の発明少年として知られていた。手袋の手首にゴム糸を挿入する機械を作り、高校生にして実用新案登録を出願した。


 この登録をめぐってはその後に事件が起きた。長野の男性が先に発明していたと抗議してきて、最終的には一緒に事業をすることになった。順調にもうかったはずだったが……結婚で新居を建てるために収益の一部を引き出そうとしたら、お金は使われていて、だまされたことがわかった。現在に換算すると20億から30億円にのぼる大金である。


 「最初からなかったと思えばいい。経営の先生である森林平さん(森精機製作所創業者)からは『恨んだりするな』と言われました。すっぱりあきらめました」


 1962年、24歳で島精機製作所を創業した。全自動シームレス手袋編み機の生産が主力事業だったが、64年にいきなり倒産一歩手前の瀬戸際に追い込まれた。設計した仕組みが複雑すぎて、機械や技術の精度がおいつかなかったのだ。価格設定でも代理店の商社ともめた。


 島精機の希望小売価格が40万円だったのに対し、江商(現兼松)は75万円で販売したいという。顧客のことを考える島には「高値すぎる」という思いがあった。


 「値付けは売り主の勝手」という江商に、「それならもう作りません」と、喧嘩別れになった。すぐに新型機の開発に取りかかり、1日1時間しか寝ずに開発を急いだが、12月25日が期限の60万円の手形を決済するための資金がない。


 自殺して借金を保険金でまかなおうとまで真剣に考えた。ところが、前日になって、大阪の金属加工会社の社長が助けてくれた。中小企業診断士がひそかにスポンサーを探してくれていたおかげだった。


 新型の編み機も年内に完成し、窮地を逃れた。それも日頃からの「ギブン」の精神が招き寄せた幸運だった。

 

画期的な自動編み機を開発
世界のアパレル産業から尊敬


 新大阪から特急「くろしお」で60分。和歌山市の郊外に島精機の本社がある。玄関を入ると、いきなりシルバーのフェラーリ328と真紅のフェラーリF355スパイダーが目に飛び込んでくる。


 20年から30年前のモデルだが、妖艶な輝きを放ち、新車のようにピカピカだ。


 島の名はアルマーニ、グッチ、プラダなどイタリアの高級ブランドと契約するニット業者に知れ渡っている。フェラーリは現地の取引業者からプレゼントされたものだ。


 全自動手袋編み機を開発した島の次なる目標は、衿編機の開発だった。1967年当時、衿の部分だけは自動化が難しく、同年9月にスイス・バーゼルで開催された国際繊維機械見本市(ITMA)において、海外の老舗メーカーに先んじて、全自動フルファッション衿編機を発表、その画期的な横編機は業界の度肝を抜いた。


 世界初の「ホールガーメント横編み機」は1995年、イタリア・ミラノで開かれた国際繊維機械見本市で発表された。ホールガーメントとは無縫製ニット製品の商標。糸をセットすると三次元の服の形に一気に編み上げる。数十分でニット製品が完成した。


 島精機のブースはライバル企業の技術者でごった返した。


 100年を超す伝統を誇るヨーロッパのアパレルメーカーの技術に、和歌山から生まれた製品が勝利したのだ。当初はデザイン能力に難があったが、改良を重ねてベネトン、ルイ・ヴィトン、エルメス、グッチらの一流ブランドが採用するようになった。


 2008年には宇宙飛行士の土井隆雄氏が国際宇宙ステーションで試着した。起業した時から「世界一になる」と公言してきた島は言葉通りに、技術力でトップにたった。


 「縫製を機械化すれば、日本のニット産業の発展を助けられるという思いで開発を始めました。発明は必要性とひらめきです。構想をねって手を動かす。あきらめずに考えて、また手を動かす」


 その土台にあるのは、戦後の日本を成長させるという志の高さと、目標が難しいほど湧き上がる負けん気の強さだろう。


衣食住ではなく食衣住
ライフスタイルも充実

 1960年代からヨーロッパに出張していた島は健啖家でもある。ロンドンのベリー・ブラザーズ&ラッドでロマネ・コンティを購入して、飛行機で持ち帰っていた。ロマネ・コンティの名を知る愛好家などほとんどいなかった時代の話である。


 パリのレストラン「ルドワイヤン」で、ビールを注文しようとしたら冷たい目で見られたため、ワインを食卓でたしなむようになった。高校時代、新聞勧誘のおじさんに「成功するが、36歳で死ぬかもしれんから気いつけなあかん」と言われて、死ぬ前においしいワインを飲もうという思いもあった。


 「貧乏で食べたいものも食べられなかった。生きている限り、おいしいものを食べないといけません。衣食住ではなくて、食衣住だと思っています。毎日、ワインを飲みますが、ブルゴーニュが飲みやすい。ワインのおかげか、ほとんど医者にかかったことがありません」


 現在、島の長女が社長を務める会社では、世界遺産の高野山のふもとで1日6組限定のラグジュアリー・リゾート「山荘天の里」を営んでいる。


 戦後を生き抜き、日本のものづくりの力を世界に広め、豊かなライフスタイルを送る。巨人とも言うべき存在だが、腰が低く、謙虚な人柄。こんな人生を生きたいと思わせる人だった。


Profile 島 正博(しま・まさひろ)
1937年、和歌山県生まれ。18歳でゴム入り安全手袋編み機を発明。62年に島精機製作所を創業。世界初の「ホールガーメント横編み機」を開発。イタリア共和国より勲章「コメンダトーレ章」受章。ソムリエドヌール

 

アルバイト先である隣家の編機修 理工場で作業する17歳のころ
1975年、全自動ジャカー ド手袋編機を開発し、ライ プチヒ展(旧東独)に出展 しゴールドメダル賞を受賞
イタリア客先訪問時、 DECO MAGLIERIE SRLのオーナーMr. Nino Grasso氏(向かって左) 親子と
2011年、島精機製作所の前身である三伸精機 (株)設立50周年祝賀会で夫人とののツーショット

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