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平松博利さん 調理人と経営者の2枚看板

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フランス料理の1人シンクタンク


日本ソムリエ協会「Sommelier」173号掲載


1980年代にワイン生産者を独力で開拓


 ワインはインポーター経由で輸入され、ソムリエがサービスし、ワインショップで販売され、メディアが紹介して、市場に広がっていく。それぞれの役割が分かれているわけだが、平松は独自の道を切り開いた。


 自らフランスの生産者を訪ねて回り、直接交渉で仕入れて、レストランで販売した。ローヌのギガル、ブルゴーニュのフェヴレ、シャンパーニュのドゥラモット……1980年代から90年代に、ひらまつで供されて、市場に広がったワインは多い。


 インポーターの現在の幹部が新人だったころの話だ。ギガルは年間800ケースから始まり、30年を経て10倍以上を売るビッグブランドに成長した。「平松さんがギガルのコート・デュ・ローヌをグラスワインに使ってくれて、ローヌワイン全体が知られるようになった」と、輸入元の関係者は明かす。


 ドゥラモットはひらまつのハウス・シャンパーニュに使われて、知名度を上げた。今では日本がNo.1輸出市場となった生産者たちも”井戸を掘った”シェフの恩を忘れていない。サロン・ドゥラモット社長のディディエ・ドゥポン氏は今でも来日すると、平松のために「ワインメーカーズディナー」の時間を確保しているという。


 フランスの修業時代にワインの味覚を培った。ボルドーやアルザス、コニャックなど様々な産地の知られざる造り手を開拓した。「株式会社ひらまつ」のレストランは、どこもセラーを備え、きちんと温度や湿度を管理している。


 「インポーター任せでは、自分の料理に合うワインがなかなか見つからなかった。80年代は年に2回、2週間ほどフランスを駆け巡りました。今も定期的に訪れています。代が変わっても、親交が続いています。私が料理を作って、造り手がワインを開けるんです」


出会った人を引き出会った人を引きつける人間力
フランスの代表的シェフらと友達つきあい


 出会った人を引きつける人間力は平松の大きな魅力であり、武器でもある。ジョルジュ・デュブッフ氏ら造り手だけでなく、フランス料理の巨匠たちとも、親しい付き合いを続けている。その延長に、ポール・ボキューズシェフ、マルク・エーベルランシェフ、フィリップ・ミルシェフらとのレストラン展開がある。実業家や商社が商売で星付きシェフを引っ張ってくるのとは本質的に違うのだ。


 2000年代初頭、クリスチャン・ムエックス氏が来日して、「レストランひらまつ 広尾」で開いたシャトー・ペトリュスのメディア向けランチは今も忘れられない。平松は熟成したペトリュスに、絶妙な火通しの鳩料理を合わせた。


 「私は経営者と思われていますが、実は料理させてもうまいんですよ(笑)」

 
 ロゼ色に仕上げた鳩は、鉄の風味を含むペトリュスときれいに調和していた。82年に帰国して東京・西麻布に「ひらまつ亭」を開いた時から、現地と時差のないフランス料理を供してきた。


 料理人としての能力は疑いがないが、94年に「株式会社ひらまつ」を設立した時から方向転換した。正確に言えば、料理人と経営者の二足のわらじを履くようになった。95年から99年まで経営の実務を勉強した。3時間しか眠らずに、料理、テイスター、教育、財務などマルチな仕事をこなした。


料理人の地位向上を目指して経営者に


 猛勉強が終わって、2000年に料理人に復帰。2001年にパリのサン・ルイ島に「レストランひらまつサンルイアンリル」を開き、2003年1月に発表されたミシュランガイドフランスで1つ星を獲得した。日本人オーナーシェフとして初めての快挙だった。


 「経営者を目指したのは、可愛がっていたスタッフが亡くなったのもありますが、これからの未来、料理人の地位を向上させる必要があると考えれたからです」


 日本のフランス料理シェフは深く掘り下げる方向に走りがちだが、平松ははるか先を見て、実業家として踏み出した。


 ひらまつには、フランスの料飲業界で考えられるあらゆる業態が存在する。カフェ、ブラッスリー、レストラン……オープンカフェもレストランウエディングも、ひらまつが初めて日本に紹介し、今では食シーンに溶け込んでいる。最近では日本料理やホテル事業にも進出している。


 2003年のジャスダック市場を手始めに、2010年には東証一部上場を果たした。本格的なフランスの食文化に根ざした企業としては例がない成功を収めた。


「料理も経営もできるシェフはおまえだけ」
”父”ポール・ボキューズのほめ言葉


 ローヌ北部ヴィエンヌの3つ星「ピラミッド」のフェルナン・ポワンは、ポール・ボキューズやミッシェル・トロワグロら戦後を代表するシェフを育てた。ボキューズシェフはポワンシェフの遺産を吸収し、フランス料理界の法王の座についた。2年前に亡くなったその法王が平松の師匠だ。


 ボキューズシェフが料理界の父にあたり、アルザス「オーベルジュ・ド・リル」のマルク・エーベルランシェフらは兄弟にあたる。その”お父さん”からもらったうれしい言葉が今も忘れられない。


 「料理のうまいシェフはいくらでもいる。料理も経営もできるシェフはおまえしか見たことがない」


山あり、谷ありの人生
創作するのがシェフ、演奏するのがスーシェフ


 レストランウエディングや多店舗展開に意見されたこともあるが、最後は世間が彼の背中を追いかけている。山あり、谷ありの人生の最終章をめくったところで、ドンデン返しが待っていた。


 2016年、「株式会社ひらまつ」を退いたのだ。600人以上の社員を抱え、経常利益25%の会社を、63歳でスパッと辞めた。現在は後進の育成にあたっている。「株式会社ひらまつ総合研究所」の社長と共に、奈良県立「なら食と農の魅力創造国際大学校」の校長も務めている。


 平松には2枚の名刺がある。料理人として出すのは「平松宏之」。実業家としては本名の「平松博利」を使う。料理人と経営者という2つのビジネスを成功させてきた人生を象徴している。平松はホスピタリティ産業のすべてを詰め込んだシンクタンクのような存在だ。その情報すべてを後世に引き継ごうとしている。


 「料理も経営もつまるところ人です。人の力をどれだけ引き出せるかにかかっている。私は料理人に、『君の料理を作りなさい』と話します。創作するのがシェフですが、最近は譜面を書ける料理人が少なくなっていると感じます」


 ミシュランガイド東京で3つ星を保つ「カンテサンス」の岸田周三シェフや、日本人として初めてフランス版で3つ星を獲得した小林圭シェフらの活躍を喜んでいる。若手シェフの成長はそのままフランス料理の発展につながる。


 67歳の平松は2021年、料理人人生50周年を迎える。今は料理人であり、テイスターです」と微笑む顔からは、全盛期の触れれば切れるナイフのような鋭さが薄れたように思えるが、懐には刃を抱いているに違いない。一流の料理人そして一流の経営者となった今もなお、まだ終着点にたどり着いたとは思えない。ある日また、驚くようなことをしてくれそうだ。


Profile 平松博利(ひらまつ・ひろとし)


ひらまつ総合研究所代表取締役。1952年横浜生まれ。78年にフランスに渡り、82年に帰国。株式会社ひらまつを一部上場させた。2016年から現職。

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