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井黒卓 全日本最優秀ソムリエ 一回り成長して負けられない闘いに勝利 

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2020年「ソムリエ」176号掲載

 

「2位じゃダメなんです」
2度の敗北からリベンジ

 

 ずっと頭から離れなかった言葉がある。2018年のアジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクールの壮行会で、田崎真也は寄せ書きにこう記した。紫色の鮮烈な字だった。


 「2位じゃダメなんです」


 競技で歴史に残るのは優勝した人間だけ。世界の頂点に立った男のメッセージが突き刺さった。


 前の年の全日本最優秀ソムリエコンクールで、岩田渉に破れた。年上の選手を追い越してきた井黒が、年下に負けた初めての経験だった。悔しさは濃いオリとなって、胸底に沈殿した。


 2人で挑戦したアジア・オセアニア・コンクールで、岩田は優勝したが、井黒は決勝に残れず、4位に終わった。母親を沖縄から観戦に呼び寄せたのに、ステージに立つ姿を見せることすらできなかった。


 今回、日本一になり、この3年間のモヤモヤした気持ちがようやく吹き飛んだ。重いプレッシャーを背負っての激烈な闘いだった。


 「優勝するしかない。もう社命でした。負けたらソムリエの人生は終わりだとまで考えていました」

 

米国で生まれ中学・高校と沖縄
持ち前の我の強さと負けん気

 

 エンジニアの父が米国で働いていた時に母と出会い、カリフォルニアで生まれた。小学6年の時に、母の故郷の沖縄に帰国した。高校を卒業した後に上京し、バーテンダーを始めた。結婚を機に、昼の仕事のカフェ・レストランに切り替えた。21歳で子供が生まれた。子育てしながら、朝9時から終電の時間まで猛烈に働いた。立ったまま寝ているようなこともあった。


 電車や寝る前の時間を使って、ソムリエ資格の受験勉強を始めたが、ソムリエの仕事にあこがれていたわけではない。資格をとれば給料が増えるだろうという程度の気持ちだった。1回目の受験は、実技で落とされた。基本動作を知らず、隣の受験生の動きを真似していたのだから、受かるわけがなかった。


 コンクールに出たのも、最初から強い動機があったわけではない。賞をとると箔がつく。上司に認められて給料が上がるかもしれない。最初はその程度だった。だが、2014年のソムリエスカラシップで優秀賞を受賞して面白くなった。同時に受賞したのが、今回2位に入賞した森本美雪だった。持ち前の我の強さと勝ち気な性格に火が付き、コンクールの世界にのめりこんでいく。

 

中本聡文の下で鍛えられる
鼻っ柱を折られて成長

 

 戦うための環境は自分で作るしかない。2016年、東京を代表するグランメゾン「ロオジエ」に入社して、シェフソムリエ中本聡文の下で、世界に照準を絞った。


 2018年初め、生産者のランチで、ロオジエを訪れた際に、中本さんから「井黒君をよろしく頼みます」と紹介された。その時の息子を見守るような目線の暖かさを今も覚えている。井黒は愛想よく挨拶したが、その前にワイン雑誌の試飲企画で一緒になった時の印象は違っていた。


 <ずいぶん鼻っ柱の強い若手が出てきたなぁ。外国人相手に戦うにはこの気の強さも武器になるかも>


 実は別の企画で岩田とも一緒に試飲したことがある。若いのにずいぶん老成した印象を受けた。


 アジア・オセアニア・コンクールで、岩田に2度めの敗北を喫したのはその年の秋のことだ。2人はメンターの石田博から指導を受けながら、コンクールに備えた。条件は同じで、職場の環境はむしろ井黒の方が恵まれていた。それなのに、なぜ差がついたのか?


 「エゴが強かったのだと思います。石田さんのアドバイスに真剣に向き合っていなかった。岩田さんは傍で見ていると、スポンジのように吸収していた。自分は英語が少しできるといううぬぼれもあったかもしれません。我ながら、生意気なヤツでした。伸ばしてきた鼻っ柱を折られて、自分を見つめ直しました」

 

コンクールと現場の仕事が直結
空間と時間を管理する術を学ぶ

 

 今回のコンクールから3日後。久しぶりに会った33歳のソムリエの第一印象は、ずいぶんと温和で、丸くなっていた。一流のサービスマンが身につけた細かい気配りを備えると同時に、線も太くなっていた。


 「性格をゼロから変えるしかないと思ったんです。2位だから、思うようにやれば1位に届くというようなかつての考え方を改めました」


 メンターの石田はかねてから「井黒は好不調の波が激しい」と、指摘してきたが、今回のパフォーマンスはかつてないほど安定していた。心構えを変えて、十分な練習量を積み重ねた成果が完璧に発揮された。


 コンクールと現場の仕事は直結している。中本という上司が身近にいたのは、井黒にとって最大の強みだった。この3年間、何かあるたびに言われた。「おまえ、それでは優勝できないぞ」と。


 よく注意されたのが、客と話し込んでしまう癖だ。ワインの説明につい熱が入ってしまう。ロオジエに来るお客は、伸び盛りの若手スターと話したがる。それをすべて受け止めていては駄目。どのタイミングで席を離れるかも大切なのだ。1つのテーブルに5分以上かけると、その間に調理の流れが変わる。ほかのテーブルは置き去りにされる。


 「自分がシェフソムリエになったような立ち位置で、レストラン全体を管理することを学びました」


 空間と時間を管理する術は、秒単位で競うコンクールでも求められる必須の能力だ。彼の腕には、タイムウォッチのように時間を測れる時計がはまっている。

 

中本に恩返しできたのが嬉しい
またも負けられない戦いに挑む

 

 優勝した日の夜は、ロオジエに戻って、ビルカール・サルモンのマグナム「キュヴェ200」と中本所有のラ・ターシュ1999で祝杯を上げた。


 「会社に便宜を図ってもらえるよう、いろいろと交渉もしてくれた中本さんの期待に応えられたのが何よりうれしかった」


 かつてのエゴはそこにはない。


 喜びもつかの間、1年後には2度目のアジア・オセアニア・コンクールへの挑戦が待っている。一緒に戦う森本美雪から、コンクール直後に「悔しい。今度は絶対に負けない」という闘争心むき出しのメールが届いた。一つ年上の森本は森覚の愛弟子だ。ソムリエたちは着実に世代交代している。30代前半の若手たちが、コンクール優勝者の先輩に教えを受けて競い合う日本のソムリエ・シーンは、エキサイティングだ。


 井黒にとっては、今度もまた退路をたって、絶対に負けられない戦いとなる。アジア・オセアニアで優勝すれば、地区代表として世界最優秀ソムリコンクールの舞台を踏める。そこで勝てないと、日本代表を選ぶ選考会で勝つしかない。岩田と再び戦ってうち負かす必要がある。そこに、まだ挑戦の意志を明らかにしていない森が絡む可能性もある。


 岩田はライバルであり、コンクールを目指す仲間でもある。ライバルの存在がはお互いの能力を高める。負けず嫌いの岩田も、成長した井黒を意識しているのは間違いない。


 「岩田さんはいつも気になる存在です。お互いに努力していますが、どこにいるかはわからない」


 ただ、戦う相手は選手ではなく、審査員だ。既にどうトレーニングするかを考え始めた。課題はセオリーだ。紙は捨てた。iPad Proのnoteを持ち歩き、世界中の情報を詰め込んでいる。


 休むまもなく、トップスピードで走り続けている。

(敬称略)
 

井黒卓(いぐろ・たく) 1987年ロサンゼルス生まれ。11歳から沖縄で暮らし、沖縄県立那覇国際高校卒業。2016年ロオジエ入社。2017年 全日本最優秀ソムリエコンクール2位。2020年同コンクール優勝。

ロオジエのセラーで
祝杯のビルカール・サルモンとラ・ターシュ1999年に笑み
友人と高校2年のオーストラリアへ修学旅行で

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