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醸造もプレゼンテーションも天才
2019年「ソムリエ」168号掲載
MWの試験に最年少で一発合格
マスター・オブ・ワイン。30か国に384人が存在する世界最難関のワイン資格の持ち主は、オーシャンズ11のメンバーのようなものだ。マーケティング、栽培、醸造……各人が得意分野を持っている。その前提としてあらゆる課題を解決できる知識と実行力を備えている。そうでないと、試験に合格できない。ワインに熟達する(マスター)とはそういうことだ。
それだけに、合格には時間がかかるが、まれに天才がいる。サム・ハロップはロンドンで暮らしていた2003年、試飲と理論の試験に一発で合格した。最優秀の成績で、当時は最年少の合格だった。一発合格で最優秀成績という点では、2004年に合格したジュリア・ハーディングも同じだ。
ジャンシス・ロビンソンの右腕として働き、「ワイン・グレープス」や「オックスフォード・コンパニオン・トゥ・ワイン」を編集し、「パープル・ページ」でも優れた記事を発信している。2人とも表面上は穏やかで、切れ味をひけらかすタイプではない。上にいくほど謙虚になるという見本だ。あるいは謙虚だから上に行けるのか。
MWの試験では最終関門の論文が、最も困難とよく言われる。サムはそこを通過しただけでなく、論文が世界のワイン業界に衝撃を与えた。シラーの複雑な風味をもたらしているのがブレタノマイセス(ブレット)だったことを突き止め、その後のワイン醸造に大きな影響を与えたのだ。ブレットの問題は今日、愛好家でも知っているが、その出発点がサムの革新的な論文だった。
控えめで謙虚な性格
秒速で判断する屈指のテイスター
サムとの付き合いは10年近いが、彼は常に控えめだ。
「マスター・オブ・ワインに合格するのが目的だったわけではない。資格よりも知識を得るのが重要だった。知識さえ身につければ、資格がなくても問題ない。学ぶのが目的だから、重圧はなく、リラックスして試験を受けられた」
それでもトップ成績で合格してしまうのだから、常人とは何かが違う。
サムは世界屈指のテイスターだ。一緒に何度も、世界各地のワインをブラインドで比較試飲した。コメントは正確で、緻密、しかも速い。ワインメーカーだから、香りをかいで、口にふくんだ瞬間にすべてを見抜いてしまう。
プレゼンテーションの能力も図抜けている。2017年、大橋健一MWは「ピノ・ノワール ニュージーランド 2017」で、「偉大なピノ・ノワールには透明感がある」とスピーチし、注目を集めた。これにも、実はサムが関与している。大橋MWが草稿をサムに渡したところ、構成に軽く手を加えた。それでわかりやすくなり、メリハリがついた。大橋MWは改めて驚かされた。「要旨が素晴らしく、フレッシュだった。それを近づきやすくしただけ」と、サムは謙虚だが、”スター誕生”に一役買ったのは間違いない。
サムは2006年から2016年まで、世界最大級のワインコンペティション「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」(IWC)のコ・チェアマンを務めた。マスター・オブ・ワインらがパネル・ジャッジを務めるテーブルで審査し、上がってくるワインを、さらに念入りに審査する立場だ。数が多いから秒速の判断を求められる。サムなら楽にこなしただろうと、自分が審査するたびに思う。
サムはニュージーランドでワインメーカーのキャリアを始めた。オークランドのヴィラ・マリアやホークス・ベイのブレンハイムで働き、カリフォルニアのリトライ、ハンター・ヴァレーのローズマウントでも修行した。1997年に英国に移り、スーパーマーケット「マークス&スペンサー」のワインメーカーを務めた。7年間にわたり、世界の主要産地の生産者とともに働き、高品質ワインを生産し、会社の業績を上げた。
影響力のあるコンサルタント10人の1人
南仏ルーションのドメーヌ・マタッサでのプロジェクトを経て、醸造とビジネスの両方の深い知識を武器に、醸造コンサルタントとして活躍している。英国のドリンクス・ビジネスが、2013年に発表した影響力のあるワインコンサルタントのトップ10にも選ばれた。ミシェル・ロラン、ステファン・デュルノンクール、ジャック&エリック・ボワスノ親子ら、有名生産者を手がける名だたる顔ぶれに仲間入りした。
ただ、高名なフランス人コンサルタントたちと、サムのコンサルティングの手法は異なる。クライアントを絞り、原則的にアシスタントを使わない。
「コンサルタントで重要なのは個人的な関係。『これをしろ』とは言わない。何をしようとしているのかを聞きとり、ワインメーキングと、市場からの要請を両立させる形で仕事を進める」
ロランは魔術的なブレンダーだ。大量のサンプルから、最適な組み合わせを短時間で見抜く。オー・ブリオンを除く1級シャトーをコンサルティングするエリック・ボワスノは、長年の経験に基づくテロワールの知識が卓越している。サムのやり方はよりオートクチュールといえるかもしれない。
ニュージーランドをベースに活躍してきたが、現在はワイン生産とマーケティング企業「ペニンシュラ・ビニクルトーレス」のワインメーキング・ディレクターとして、スペイン・マドリッドに家族で移住している。
マスター・オブ・ワインは全般的に欲がない。強欲な人物に会ったことがない。ワイン産業を良くするという使命感を抱いている。南アフリカのキャシィ・ヴァン・ジルは、大橋健一MWの論文のメンターとなり、1日に10回も20回もメールをやりとりして指導にあたった。
サムもウェブサイトを立ち上げて、醸造に関する知見を発表し、人為的な介入を避けたワイン造りを先導している。
ミネラル感はコハク酸と関連が深い
公私共にビッグなキャラクター
「ミネラル感は新世界のフルーティなワインに対する概念として、1980年代以降に生まれた。正しく理解されていない。明確な定義はないが、アロマとテクスチャーの両方を合わせたもの。アロマでは、フリンティ、アーシー、ヴェジタルなアロマや還元臭をもたらす硫化化合物などがミネラル感を形成する。テクスチャーでは、ソルティ、アシッド、フェノリックなどの要素がある。土壌の窒素と関連している。酸にはリンゴ酸、酒石酸、乳酸、コハク酸があるが、酵母由来のコハク酸がとりわけ重要な役割を果たす。単に土壌と直接的な関係があるという見方はナンセンス」
サムにとって、自然なワインとは単なる「ハンズオフ」ではない。
「ワイン造りは介入をしすぎても、恐れてもいけない。理想はバランスがとれて、ハーモニーがあって、個性に満ちたワイン。自然派ワインと技術的な商業的ワインの中間という位置づけで、『シンパセティック・ワイン』と私は呼ぶ」
その手本が、オークランドからフェリーで30分間のワイヘキ島で造る「セダリオン」だ。採算度外視で、自らの理想とするワインを造っている。シャブリを連想させるシャルドネや、ティエリー・アルマンを連想させるシラーは、冷涼な気候とサムのミニマルな醸造手法から生まれる、土地の個性を引き出した自然なワインだ。
サムは世界に広がる現在の日本酒ブームの立役者の1人でもある。2007年、IWCにSAKE部門を設定するのに尽力した。IWCのSAKEコンペティションは日本で開催されるまでに成長した。
大橋MWが2003年、MWになったばかりのサムに会って、巨視的なものの見方に一発でKOされて、MWになりたいと思ったというエピソードはよく知られている。公私両面でサムのようにビッグな人間には、私も会ったことがない。
プロファイル Sam Harrop MW
英国の「マークス&スペンサー」勤務時代の2003年にマスター・オブ・ワインに一発で合格。IWCのコ・チェアマンを10年間にわたり務めた。
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