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ワイン造り発祥の地 名刺に「8000 ヴィンテージ」
「Sommelier」(日本ソムリエ協会)2017年掲載
ジョージアで農務省や生産者団体「ナショナル・ワイン・エージェンシー」の幹部と名刺を交換すると、裏に「8000 vintage」と記してある。8000年のワイン造りの歴史を刻んできたことを示している。わかりやすいキャッチコピーである。
2015年、日本では法改正によって、ロシア語読みの「グルジア」から英語の「ジョージア」に呼び方が変わった。この小国は、日本の5分の1しかない国土に約400万人の人口しかいない。農業、食品加工、鉱業が産業の中心。1991年にソ連から独立してからも、経済的には強い影響下にある。1人当たりのGDPは3842ドルで、決して豊かな国ではないが、政府はワインとワイン文化を世界に輸出しようとしている。その国家戦略が「8000ヴィンテージ」というキャッチに凝縮されているのだ。
様々な産業が発達すると、多様な経済政策が必要となるが、ジョージアの場合は第一次産業が基盤を支えているから、方向性が定まっている。ワインに力を入れる背景には、ジョージア人がワイン好きだという事情もある。この国では、ワイン造りや販売が国家の免許制になっていない。自前でワインを造ることができ、それを個人間やショップで販売するのも許されている。ジョージアン・ワイン・エージェンシーによると、1人当たりの年間ワイン消費量は25リットル。これは推計も含まれる数値だが、1人当たりのワイン消費が最も多いバチカン市国が50リットル代後半だから、結構な量を飲んでいる計算になる。
お客を歓待する文化 豊かな自然の恵み
ワインは生活と密着している。聖なる飲み物として、宗教とともに広まってきた。337年にいち早く、キリスト教を国教に定めたジョージアの民は宗教心が厚い。いたるところで教会を目にする。ワイン造りも、修道院で行われてきた歴史がある。お客さんを歓待する文化が浸透していて、どこのワイナリーを訪ねても、大量のワインと、簡素だが豊かな自然の力が宿る野菜や肉料理でもてなされる。
野菜が豊富なのが旅行者にはうれしい。クレソン、タラゴン、ラディッシュ、イタリアンパセリ……畑からとってきたばかりのハーブを手づかみで食べる。窯で焼くチーズ入りピザのようなハチャプリ、素焼きのショティなど、パンがおいしい。小麦文化を満喫した。小籠包のような「ヒンカリ」は日本人には違和感がない。それらをつまむだけで満腹したところで、そこから羊、牛、豚などのバーベキューが延々と出てくる。「皆の健康のため」とか「初めてジョージアを訪れた記念」とか、様々な理由をつけて乾杯を繰り返す。自制心を持っていないと、体が持たないのがジョージアのワイナリーである。
「ワインはキリストの血」という考え方は、キリスト教の国にはどこでもある。その半面で、ワインは経済活動を支える商業製品でもある。カリフォルニアやフランスのどんな生産者を訪れても、コマーシャルな側面は感じるが、ジョージアではそれが希薄である。フランスの自然派生産者を訪ねると、カーヴから埃のついた古いボトルを出してきて、酒盛りが始まる。そんな温かさを、ジョージアの造り手からは感じる。
東西文化の交差点
ワインの語源はジョージア語
ジョージアは東西文化の交差点に位置する。アジアとヨーロッパの文化が入り混じっている。525種の土着品種があり、国際品種の割合は5%にすぎない。最も広く栽培されているのは、白ブドウのルカツティリ(Rkatsitelli)。2016年は6万5000トンが収穫された、続いて、黒ブドウのサペラヴィ(Saperavi)。収穫量は4万2000トン。3番目がムツヴァネ(Mtsvane)で3000トン。全収穫量は11万4000トン。栽培面積は5万ヘクタールで、2016年の生産量は8000万リットル。70%が東部のカヘティ(Kakheti)地方で造られ、20%は西部のイメレティ(Imereti)地方で造られる。ロシアと接する北方には大コーカサス山脈が走り、アルメニアやアゼルヴァイジャンと接する南には小コーカサス山脈が走る。国土の80%は山岳地帯である。東部は乾燥した大陸性気候で、西部は黒海の影響を受けた湿潤な亜熱帯気候で、湿度も雨量も多い。10の栽培地域に分かれる。
ジョージアの国民性と概要を紹介したところで、冒頭で述べた「8000 ヴィンテージ」の話に戻ろう。このキャッチは、ジョージアにワイン造りの起源があるという説を示している。ワインのルーツには諸説あるが、コーカサス山脈南部のジョージアで生まれたという説が有力だ。アルメニア、トルコ、レバノンの可能性もあるが、ジョージアでは様々な証拠が出土している。紀元前6000年ごろ、ワイン造りに使われていた壺から、ブドウの種と、ワインの存在を裏付ける酒石酸が見つかった。当時のブドウは、ヴィティス・ヴィニフェラのサティヴァ種だった。また、「wine」の語源はジョージア語の「ghvivili」にあるという説が有力だ。「ghv」はジョージア語であり、「ghvino」(グヴィノ)から「vino」「vin」「wine」へと発展したと、言語学者は唱えている。
ソ連にほんろうされたワイン政策
現在は世界にワイン文化を輸出
だが、長い歴史を持つジョージアのワイン造りも、その歩みは平坦ではなかった。ソ連の政策にほんろうされてきた。その一つが、ゴルバチョフ大統領が打ち出した禁酒政策である。1985年から1987年にかけて実施したペレストロイカの禁酒法によって大幅に生産量が減った。白ワインの代表的品種であるルカツティリはソ連で広く栽培されていたが、1985年以降は引き抜かれてしまった。さらに、2006年には最大の輸出先であるロシアが、ジョージアの主要輸出品であるワインに対して、禁輸措置をとった。領土紛争に伴う政治的な理由があったとされる。ジョージアは、全輸出量の87%を失う苦境に陥った。
話はちょっとそれるが、ワインは多様な販売先を持つことが重要となる。国内で売れるからといって、油断していると、韓国のサムスンに負けた日本のデジタル産業のようになってしまう。ある程度の輸出は必要だ。ボルドーは、生産と販売の役割をわけて、多くのネゴシアンと付き合う戦略をとってきた。ネゴシアンには、米国、中国、日本など得意な市場があるから、分散することによって、リスクヘッジができる。シャンパーニュのトップメゾンのように、売れ筋のトップキュヴェを各国に割り当てるのも、市場の飢餓感をあおるには有効な手段である。
ジョージアも2度の危機から立ち直り、輸出先が広がった。トップ市場は依然としてロシアで、2016年の輸出量は2722万本。ウクライナが581万本で続き、中国が530万本で3番手に付けた。いずれの国も前年より50%以上の伸びを示している。ジョージアのワイン・エージェンシーは、6月にボルドーで開かれたワイン&スピリッツの見本市「ヴィネクスポ」で、初めて試飲会を開いた。世界市場をターゲットにしている。現在、力を入れている市場は第一に英国、パープル・ページのジュリア・ハーディングMWや、評論家のティム・アトキンMWがひんぱんに訪れている。中国・香港はもちろん、米国市場にも注力している。日本もターゲット市場だ。農務省が大橋健一MWをアンバサダーに迎えた。香港ではデブラ・メイブルグMW、英国ではサラ・アボットMWがアンバサダーとなっている。こうした新興国のマーケティングは、SAKEやワインの輸出を拡大しようとしている日本も見習うべきだ。
クヴェヴリによるワイン造り
オレンジワインの起源
ジョージアワインと聞いて、だれもが連想するのがクヴェヴリで造る白ワインだろう。「オレンジワイン」と認識している人もいるかもしれない。言うまでもないが、オレンジワインの原型が、クヴェヴリを使う伝統的な醸造法で造る白ワインである。オレンジワインは、コーカサス山脈の西側に位置するイタリア北東部のフリウリ・ヴェネツィア・ジュリアで発祥した。バリックや開放桶など様々な発酵方法に取り組み、試行錯誤してきたヨスコ・グラヴネルが1998年に初めて瓶詰めした。
白ワインは通常、果汁だけを発酵させるが、オレンジワインは赤ワインのように、果皮や種とともに発酵させる。一定期間のマセラシオンによって、ワインはオレンジや琥珀を帯びた色調になる。タンニンのレベルは、通常の白ワインより高く、ドライフルーツやほろ苦さのある独特な香味が生まれる。発酵槽には素焼きの壺アンフォラや木桶が使われる。8000年前にジョージアで編み出された、亜硫酸や酵素など添加物を付加しないワイン造りに触発されたオレンジワインは、わずか20年間で、自然派ワインのブームに乗って世界に広がった。今では、フランスからスペイン、ドイツ、オーストラリアやカリフォルニアなど新世界にも広まっている。
ジョージアでは、オレンジワインという呼び方は使わない。「アンバーワイン」「ゴールドワイン」という英語表記が使われている。色調的には、この呼び方の方がしっくりとくる。熟成した白ワインのような琥珀色や黄金色をしているからだ。クヴェヴリを使ったワイン製法は、2013年、ユネスコの世界遺産に登録された。
クヴェヴリを使った白ワインの伝統的な醸造法を、説明する前に、知っておくべきことがある。ジョージアのすべてのワインがクヴェヴリで造られるわけではない。全体の80%のワインは、一般的なヨーロッパ方式で造られている。東部のカヘティ地方と西部のイメレティ地方で、手法が異なるが、まずはカヘティ地方のやり方を紹介する。
収穫したブドウをサツナヘリ(Satsnakheli)と呼ばれる木製の槽に置いて、足で踏みつぶす。果汁と、果皮や茎、種を一緒に、地中に埋めたクヴェヴリに入れて発酵させる。浮かんでくる果帽を棒で付いて沈める作業、いわゆるパンチングダウンを繰り返しながら、20-40日間でアルコール発酵が終わる。マロラクティック発酵が終わったら、石かガラス製の蓋をして熟成する。翌年の3月か4月になったら、チャチャ(Chacha)と呼ばれる果皮や種などを分離し、別のクヴェヴリや樽に移すか、そのまま瓶詰めする。チャチャは蒸留して、庶民の飲み物となる。
赤ワインも同様に造るが、果皮のマセラシオンの期間が、白ワインの5-6か月間より短く、1か月間程度となっている。ジョージアの赤ワイン造りは極論すれば、発酵槽を除くとほかの産地とそれほど変わらない。独自性を発揮するのは白ワインである。イメレティ地方では、チャチャを最初に入れないか、入れてもその量が少ない。入れる場合も、取り除く時期が早い。
多様な方程式 人為的な介入を排した醸造
基本となる方程式は以上だが、造り手によって、果皮の使い方やスキンコンタクトの期間にかなり違いがある。
カヘティ地方シャローリ村に本拠を置く「シャラウリ・セラー」の創業者ギガ・マカラデスは「少なくとも1年間はマセラシオンする。9月ごろに果皮を取り出して、ステンレスタンクに数日間移して、瓶詰めする」と語る。驚くほどスキンコンタクト期間が長いが、粗野な味わいではない。「ルカツティリ 2013」は、タンニンと果実がきれいに統合され、テクスチャーはスムーズだ。オレンジの皮、紅茶の葉、ドライアプリコットの個性的な香り。バランスがいい。
一方で、「オルゴ」の「ルカツティリ 2014」のスキンコンタクトの期間は6か月間。果梗は熟している時だけ使う。こちらはスモーキーで、ナッティだったが、バランスの良さは変わらない。骨組みはあるが重くはない。うまみがたっぷりとあって、フィニッシュは正確だった。
一方、黒ブドウでも興味深いワインに出会った。ジョージアを代表する赤ワイン品種と言えばサペラヴィである。ジョージアの自然派ワインの最前線を行くゴッツァ・ワインは、サペラヴィからロゼのペットナット(ペティアン・ナチュレル)を造っている。「サペラヴィ ペット・ナット ナチュラル・スパークリングワイン 2015」は赤みの強い色調で、小さな野イチゴ、リコリス、レッドペパー、ソルティで、スパイシー、ほろ苦さが甘酸っぱさと補いあっていた。
キュヴェヴリにもペットナットにも共通するのは、自然派のワイン造りとつながっていることだ。人為的な介入をなるべく抑えている。発酵後に蓋をしたら、翌年春に蓋を開けるまでどうなるかわからない。人の手は入らない。マカラデスは「クヴェヴリはニュートラルな発酵槽だが、ステンレスタンクと違って呼吸する。ワインが自然とコンタクトしている」と語った。
その魅力にひかれて、クヴェヴリを買いにジョージアまでやってくる生産者が後をたたない。カヘティ地方に2軒しかないクヴェヴリ造り職人を訪ねた。カヘティ地方で最大の都市テラヴィから15分程度のバーディスバニ村で、レニーとザザのグビラシュヴィリ父子が、自宅工房で造っている。
2000リットルの標準サイズを1個仕上げるのに2か月間はかかる。国土の中央に横たわるゴンボリ山脈の森から持ってきた粘土から、3、4センチの厚みのクヴェヴリを造り上げていく。根気と正確さが求められる仕事だ。まとまった個数が完成すると、高さ3メートルはある小屋のような窯に入れて、煉瓦で密閉。1000-1200度で約1週間、焼き続ける。冷めたら、内部に蜜ろうをぬってワインの浸透を防ぐ。
秋から冬は温度が下がり、雨が降るから、製造期間は3月から9月まで。年間40個が限度だという。2000リットルのサイズで400ドル。グビラシュヴィリ家には、米国、イタリア、アゼルバイジャンなど外国からの注文も多いそうだ。クヴェヴリは内部をチェリーの樹皮で造るサルツヒ(Sartskhi)という道具でこすり、長年にわたって使う。1900年代に造られたものを現役で使っているケースもあった。
産業的なワイン造りへのアンチテーゼ
クヴェヴリ造りもワイン造りも、ジョージアでは、時間をかけている。テクノロジーの導入によってワイン造りは進化した。発酵槽をコンピューターで管理すれば、失敗のない醸造ができる。添加物によって、香りをつけたり、機械的にアルコール度の調整をすることも可能だ。そうした産業的なワイン造りとは対極にある、昔ながらのワイン造りが生き残っているのが、ジョージアの魅力であり、そこが自然派の生産者たちをひきつけている。
大手の生産者を訪ねると、近代的な生産施設を有し、その片隅にクヴェヴリがある。テラヴィに本拠を置く「テラヴィ・ワイン・セラー」の生産量は500万本。大半がヨーロッパ式の製法で造られるが、マラニと呼ばれるセラーには40ものクヴェヴリが埋められている。なぜ。手間ひまかけて伝統的な製法によるワイン造りを続けるのか?
創業者のズラブ・ラマザシュヴィリは答えた。
「結局のところ哲学の問題だ。日本は昔の文化を大切にしているだろう。我々も8000年の伝統を引き継ぐ義務がある」
ここでは、10年間熟成したルカツティリのクヴェヴリワインを試飲した。深い黄金色、ドライなプラムやアプリコット、緑茶の葉、カスタードクリーム、フェノールはきれいに溶け込んで、酸はまろやか。調和のとれた味わいで、いまだに生き生きしていた。そのワインは野生酵母で発酵し、亜硫酸を添加せずに、クヴェヴリでマセラシオンを行った後、小樽でさらに10か月間の熟成を行っていた。クヴェヴリによる還元的なワイン造りと、バリックによるマイクロ・オキシジネーションの効果がうまくミックスされていた。伝統をかたくなに守るだけでなく、現代的な造りもうまく取り入れている。
ジョージアワインの魅力を一言で言うなら、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」である。
「Sommelier」(日本ソムリエ協会)2017年掲載
ジョージアで農務省や生産者団体「ナショナル・ワイン・エージェンシー」の幹部と名刺を交換すると、裏に「8000 vintage」と記してある。8000年のワイン造りの歴史を刻んできたことを示している。わかりやすいキャッチコピーである。
2015年、日本では法改正によって、ロシア語読みの「グルジア」から英語の「ジョージア」に呼び方が変わった。この小国は、日本の5分の1しかない国土に約400万人の人口しかいない。農業、食品加工、鉱業が産業の中心。1991年にソ連から独立してからも、経済的には強い影響下にある。1人当たりのGDPは3842ドルで、決して豊かな国ではないが、政府はワインとワイン文化を世界に輸出しようとしている。その国家戦略が「8000ヴィンテージ」というキャッチに凝縮されているのだ。
様々な産業が発達すると、多様な経済政策が必要となるが、ジョージアの場合は第一次産業が基盤を支えているから、方向性が定まっている。ワインに力を入れる背景には、ジョージア人がワイン好きだという事情もある。この国では、ワイン造りや販売が国家の免許制になっていない。自前でワインを造ることができ、それを個人間やショップで販売するのも許されている。ジョージアン・ワイン・エージェンシーによると、1人当たりの年間ワイン消費量は25リットル。これは推計も含まれる数値だが、1人当たりのワイン消費が最も多いバチカン市国が50リットル代後半だから、結構な量を飲んでいる計算になる。
お客を歓待する文化 豊かな自然の恵み
ワインは生活と密着している。聖なる飲み物として、宗教とともに広まってきた。337年にいち早く、キリスト教を国教に定めたジョージアの民は宗教心が厚い。いたるところで教会を目にする。ワイン造りも、修道院で行われてきた歴史がある。お客さんを歓待する文化が浸透していて、どこのワイナリーを訪ねても、大量のワインと、簡素だが豊かな自然の力が宿る野菜や肉料理でもてなされる。
野菜が豊富なのが旅行者にはうれしい。クレソン、タラゴン、ラディッシュ、イタリアンパセリ……畑からとってきたばかりのハーブを手づかみで食べる。窯で焼くチーズ入りピザのようなハチャプリ、素焼きのショティなど、パンがおいしい。小麦文化を満喫した。小籠包のような「ヒンカリ」は日本人には違和感がない。それらをつまむだけで満腹したところで、そこから羊、牛、豚などのバーベキューが延々と出てくる。「皆の健康のため」とか「初めてジョージアを訪れた記念」とか、様々な理由をつけて乾杯を繰り返す。自制心を持っていないと、体が持たないのがジョージアのワイナリーである。
「ワインはキリストの血」という考え方は、キリスト教の国にはどこでもある。その半面で、ワインは経済活動を支える商業製品でもある。カリフォルニアやフランスのどんな生産者を訪れても、コマーシャルな側面は感じるが、ジョージアではそれが希薄である。フランスの自然派生産者を訪ねると、カーヴから埃のついた古いボトルを出してきて、酒盛りが始まる。そんな温かさを、ジョージアの造り手からは感じる。
東西文化の交差点
ワインの語源はジョージア語
ジョージアは東西文化の交差点に位置する。アジアとヨーロッパの文化が入り混じっている。525種の土着品種があり、国際品種の割合は5%にすぎない。最も広く栽培されているのは、白ブドウのルカツティリ(Rkatsitelli)。2016年は6万5000トンが収穫された、続いて、黒ブドウのサペラヴィ(Saperavi)。収穫量は4万2000トン。3番目がムツヴァネ(Mtsvane)で3000トン。全収穫量は11万4000トン。栽培面積は5万ヘクタールで、2016年の生産量は8000万リットル。70%が東部のカヘティ(Kakheti)地方で造られ、20%は西部のイメレティ(Imereti)地方で造られる。ロシアと接する北方には大コーカサス山脈が走り、アルメニアやアゼルヴァイジャンと接する南には小コーカサス山脈が走る。国土の80%は山岳地帯である。東部は乾燥した大陸性気候で、西部は黒海の影響を受けた湿潤な亜熱帯気候で、湿度も雨量も多い。10の栽培地域に分かれる。
ジョージアの国民性と概要を紹介したところで、冒頭で述べた「8000 ヴィンテージ」の話に戻ろう。このキャッチは、ジョージアにワイン造りの起源があるという説を示している。ワインのルーツには諸説あるが、コーカサス山脈南部のジョージアで生まれたという説が有力だ。アルメニア、トルコ、レバノンの可能性もあるが、ジョージアでは様々な証拠が出土している。紀元前6000年ごろ、ワイン造りに使われていた壺から、ブドウの種と、ワインの存在を裏付ける酒石酸が見つかった。当時のブドウは、ヴィティス・ヴィニフェラのサティヴァ種だった。また、「wine」の語源はジョージア語の「ghvivili」にあるという説が有力だ。「ghv」はジョージア語であり、「ghvino」(グヴィノ)から「vino」「vin」「wine」へと発展したと、言語学者は唱えている。
ソ連にほんろうされたワイン政策
現在は世界にワイン文化を輸出
だが、長い歴史を持つジョージアのワイン造りも、その歩みは平坦ではなかった。ソ連の政策にほんろうされてきた。その一つが、ゴルバチョフ大統領が打ち出した禁酒政策である。1985年から1987年にかけて実施したペレストロイカの禁酒法によって大幅に生産量が減った。白ワインの代表的品種であるルカツティリはソ連で広く栽培されていたが、1985年以降は引き抜かれてしまった。さらに、2006年には最大の輸出先であるロシアが、ジョージアの主要輸出品であるワインに対して、禁輸措置をとった。領土紛争に伴う政治的な理由があったとされる。ジョージアは、全輸出量の87%を失う苦境に陥った。
話はちょっとそれるが、ワインは多様な販売先を持つことが重要となる。国内で売れるからといって、油断していると、韓国のサムスンに負けた日本のデジタル産業のようになってしまう。ある程度の輸出は必要だ。ボルドーは、生産と販売の役割をわけて、多くのネゴシアンと付き合う戦略をとってきた。ネゴシアンには、米国、中国、日本など得意な市場があるから、分散することによって、リスクヘッジができる。シャンパーニュのトップメゾンのように、売れ筋のトップキュヴェを各国に割り当てるのも、市場の飢餓感をあおるには有効な手段である。
ジョージアも2度の危機から立ち直り、輸出先が広がった。トップ市場は依然としてロシアで、2016年の輸出量は2722万本。ウクライナが581万本で続き、中国が530万本で3番手に付けた。いずれの国も前年より50%以上の伸びを示している。ジョージアのワイン・エージェンシーは、6月にボルドーで開かれたワイン&スピリッツの見本市「ヴィネクスポ」で、初めて試飲会を開いた。世界市場をターゲットにしている。現在、力を入れている市場は第一に英国、パープル・ページのジュリア・ハーディングMWや、評論家のティム・アトキンMWがひんぱんに訪れている。中国・香港はもちろん、米国市場にも注力している。日本もターゲット市場だ。農務省が大橋健一MWをアンバサダーに迎えた。香港ではデブラ・メイブルグMW、英国ではサラ・アボットMWがアンバサダーとなっている。こうした新興国のマーケティングは、SAKEやワインの輸出を拡大しようとしている日本も見習うべきだ。
クヴェヴリによるワイン造り
オレンジワインの起源
ジョージアワインと聞いて、だれもが連想するのがクヴェヴリで造る白ワインだろう。「オレンジワイン」と認識している人もいるかもしれない。言うまでもないが、オレンジワインの原型が、クヴェヴリを使う伝統的な醸造法で造る白ワインである。オレンジワインは、コーカサス山脈の西側に位置するイタリア北東部のフリウリ・ヴェネツィア・ジュリアで発祥した。バリックや開放桶など様々な発酵方法に取り組み、試行錯誤してきたヨスコ・グラヴネルが1998年に初めて瓶詰めした。
白ワインは通常、果汁だけを発酵させるが、オレンジワインは赤ワインのように、果皮や種とともに発酵させる。一定期間のマセラシオンによって、ワインはオレンジや琥珀を帯びた色調になる。タンニンのレベルは、通常の白ワインより高く、ドライフルーツやほろ苦さのある独特な香味が生まれる。発酵槽には素焼きの壺アンフォラや木桶が使われる。8000年前にジョージアで編み出された、亜硫酸や酵素など添加物を付加しないワイン造りに触発されたオレンジワインは、わずか20年間で、自然派ワインのブームに乗って世界に広がった。今では、フランスからスペイン、ドイツ、オーストラリアやカリフォルニアなど新世界にも広まっている。
ジョージアでは、オレンジワインという呼び方は使わない。「アンバーワイン」「ゴールドワイン」という英語表記が使われている。色調的には、この呼び方の方がしっくりとくる。熟成した白ワインのような琥珀色や黄金色をしているからだ。クヴェヴリを使ったワイン製法は、2013年、ユネスコの世界遺産に登録された。
クヴェヴリを使った白ワインの伝統的な醸造法を、説明する前に、知っておくべきことがある。ジョージアのすべてのワインがクヴェヴリで造られるわけではない。全体の80%のワインは、一般的なヨーロッパ方式で造られている。東部のカヘティ地方と西部のイメレティ地方で、手法が異なるが、まずはカヘティ地方のやり方を紹介する。
収穫したブドウをサツナヘリ(Satsnakheli)と呼ばれる木製の槽に置いて、足で踏みつぶす。果汁と、果皮や茎、種を一緒に、地中に埋めたクヴェヴリに入れて発酵させる。浮かんでくる果帽を棒で付いて沈める作業、いわゆるパンチングダウンを繰り返しながら、20-40日間でアルコール発酵が終わる。マロラクティック発酵が終わったら、石かガラス製の蓋をして熟成する。翌年の3月か4月になったら、チャチャ(Chacha)と呼ばれる果皮や種などを分離し、別のクヴェヴリや樽に移すか、そのまま瓶詰めする。チャチャは蒸留して、庶民の飲み物となる。
赤ワインも同様に造るが、果皮のマセラシオンの期間が、白ワインの5-6か月間より短く、1か月間程度となっている。ジョージアの赤ワイン造りは極論すれば、発酵槽を除くとほかの産地とそれほど変わらない。独自性を発揮するのは白ワインである。イメレティ地方では、チャチャを最初に入れないか、入れてもその量が少ない。入れる場合も、取り除く時期が早い。
多様な方程式 人為的な介入を排した醸造
基本となる方程式は以上だが、造り手によって、果皮の使い方やスキンコンタクトの期間にかなり違いがある。
カヘティ地方シャローリ村に本拠を置く「シャラウリ・セラー」の創業者ギガ・マカラデスは「少なくとも1年間はマセラシオンする。9月ごろに果皮を取り出して、ステンレスタンクに数日間移して、瓶詰めする」と語る。驚くほどスキンコンタクト期間が長いが、粗野な味わいではない。「ルカツティリ 2013」は、タンニンと果実がきれいに統合され、テクスチャーはスムーズだ。オレンジの皮、紅茶の葉、ドライアプリコットの個性的な香り。バランスがいい。
一方で、「オルゴ」の「ルカツティリ 2014」のスキンコンタクトの期間は6か月間。果梗は熟している時だけ使う。こちらはスモーキーで、ナッティだったが、バランスの良さは変わらない。骨組みはあるが重くはない。うまみがたっぷりとあって、フィニッシュは正確だった。
一方、黒ブドウでも興味深いワインに出会った。ジョージアを代表する赤ワイン品種と言えばサペラヴィである。ジョージアの自然派ワインの最前線を行くゴッツァ・ワインは、サペラヴィからロゼのペットナット(ペティアン・ナチュレル)を造っている。「サペラヴィ ペット・ナット ナチュラル・スパークリングワイン 2015」は赤みの強い色調で、小さな野イチゴ、リコリス、レッドペパー、ソルティで、スパイシー、ほろ苦さが甘酸っぱさと補いあっていた。
キュヴェヴリにもペットナットにも共通するのは、自然派のワイン造りとつながっていることだ。人為的な介入をなるべく抑えている。発酵後に蓋をしたら、翌年春に蓋を開けるまでどうなるかわからない。人の手は入らない。マカラデスは「クヴェヴリはニュートラルな発酵槽だが、ステンレスタンクと違って呼吸する。ワインが自然とコンタクトしている」と語った。
その魅力にひかれて、クヴェヴリを買いにジョージアまでやってくる生産者が後をたたない。カヘティ地方に2軒しかないクヴェヴリ造り職人を訪ねた。カヘティ地方で最大の都市テラヴィから15分程度のバーディスバニ村で、レニーとザザのグビラシュヴィリ父子が、自宅工房で造っている。
2000リットルの標準サイズを1個仕上げるのに2か月間はかかる。国土の中央に横たわるゴンボリ山脈の森から持ってきた粘土から、3、4センチの厚みのクヴェヴリを造り上げていく。根気と正確さが求められる仕事だ。まとまった個数が完成すると、高さ3メートルはある小屋のような窯に入れて、煉瓦で密閉。1000-1200度で約1週間、焼き続ける。冷めたら、内部に蜜ろうをぬってワインの浸透を防ぐ。
秋から冬は温度が下がり、雨が降るから、製造期間は3月から9月まで。年間40個が限度だという。2000リットルのサイズで400ドル。グビラシュヴィリ家には、米国、イタリア、アゼルバイジャンなど外国からの注文も多いそうだ。クヴェヴリは内部をチェリーの樹皮で造るサルツヒ(Sartskhi)という道具でこすり、長年にわたって使う。1900年代に造られたものを現役で使っているケースもあった。
産業的なワイン造りへのアンチテーゼ
クヴェヴリ造りもワイン造りも、ジョージアでは、時間をかけている。テクノロジーの導入によってワイン造りは進化した。発酵槽をコンピューターで管理すれば、失敗のない醸造ができる。添加物によって、香りをつけたり、機械的にアルコール度の調整をすることも可能だ。そうした産業的なワイン造りとは対極にある、昔ながらのワイン造りが生き残っているのが、ジョージアの魅力であり、そこが自然派の生産者たちをひきつけている。
大手の生産者を訪ねると、近代的な生産施設を有し、その片隅にクヴェヴリがある。テラヴィに本拠を置く「テラヴィ・ワイン・セラー」の生産量は500万本。大半がヨーロッパ式の製法で造られるが、マラニと呼ばれるセラーには40ものクヴェヴリが埋められている。なぜ。手間ひまかけて伝統的な製法によるワイン造りを続けるのか?
創業者のズラブ・ラマザシュヴィリは答えた。
「結局のところ哲学の問題だ。日本は昔の文化を大切にしているだろう。我々も8000年の伝統を引き継ぐ義務がある」
ここでは、10年間熟成したルカツティリのクヴェヴリワインを試飲した。深い黄金色、ドライなプラムやアプリコット、緑茶の葉、カスタードクリーム、フェノールはきれいに溶け込んで、酸はまろやか。調和のとれた味わいで、いまだに生き生きしていた。そのワインは野生酵母で発酵し、亜硫酸を添加せずに、クヴェヴリでマセラシオンを行った後、小樽でさらに10か月間の熟成を行っていた。クヴェヴリによる還元的なワイン造りと、バリックによるマイクロ・オキシジネーションの効果がうまくミックスされていた。伝統をかたくなに守るだけでなく、現代的な造りもうまく取り入れている。
ジョージアワインの魅力を一言で言うなら、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」である。
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