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時期限定の貴重な食材を求めて、世界中から大勢の旅行者でにぎわっていた。白トリュフの香りに惹かれてアルバに赴いたのは11月25日。アルバ市は、ピエモンテ州都トリノから南に60km、車で1時間ちょっとの距離に位置する、イタリア・クーネオ県の小さな街である。この地方最大の催し物である、白トリュフ祭りの最終日だった。普段は静かな街中に屋台形式でトリュフが販売され、ガストロノミーの展示会などが出ていた。
白トリュフの試食も旅の目的だが、私にとっての最大の目的は、ピエモンテ州のワイナリー巡りだった。バローロ・バルバレスコ・ロエロと、ランゲ地方のワイン産地を周った。
アルバの北東部、バルバレスコの小高い丘陵の上から北西を見ると、アルプス山脈がこの地一面をおおっているのが見える。北から西、南をぐるっと、アルプス山脈が囲んでいる。この地方が、ピエ(足)・モンテ(山)という名称になったのが、はっきりとわかる。緯度があまり変わらないのに、フランスよりも早く日が暮れるのは、この広大な山の壁がすぐそばにあるからだろう。
トリノを南に下ってすぐは、ずっと緩やかな平地が続くのに対し、ワイン産地の始まるロエロ地区に入るとすぐに、急峻な丘陵地が現れる。ここは、イタリア半島を背骨のようにして支える、アペニン山脈の最初の連なりの一つである。
気の遠くなるような昔のこと。漸新世(約3400万年-2300万年前)の終わりに、アフリカ大陸のプレートはユーラシア大陸のプレートに激突し、その地中深くに滑り込んだ。急激な衝突では無かったが、ヨーロッパ大陸に強い圧力を生み、押し上げる力でアルプス山脈を生み出した。その後、アドリアプレートが沈降し、アペニン山脈が隆起するに伴い、ピエモンテ南部のランゲ地区は地表に迫り上がる。もともとテチス海に堆積されて形成された土壌は、圧縮されることによって様々な変成岩を生み出した。
イタリア中の土地がこの地殻変動イベントに大きな影響を受けているのは間違いないが、ピエモンテのワインの畑に大きな個性を与えているのは、隆起しても、第四紀の氷河期に削り切り取られなかった、中新世(約2300万-500万年前)のマール質粘土と砂土壌である。サーラバリアン(Sarravallian,1382-1162万年前)、トートニアン(Tortonian,1162-724万年前)、メッシニアン(Messinian,724-533万年前)の3つの時代のアルカリ性の地層が複雑に絡まり合う。
一般的に、サーラバリアン紀の土壌は石灰質でpHが低く、トートニアン紀は砂質であることが多い。だからバローロの中でも、サーラバリアン紀のセッラルンガ・ダルバ村とモンフォルテ・ダルバ村のワインは最もタニックで強靭なスタイルだが、トートニアン紀のカスティリオーネ・ファレット村やラ・モッラ村のワインは繊細タイプである。これはバルバレスコでも同じで、サーラバリアン紀のトレイゾ村のワインよりも、トートニアン紀のバルバレスコ村とネイヴェ村の方がエレガントなワインが多いようだ。
この特殊な土地に根ざした、ネッビオーロ品種は、どんな品種よりも発芽が早いのに、どんな品種よりもブドウの成熟が遅い。霜害のリスクが高いだけでなく、成熟前の雨のリスクも多い。さらに種のタンニンが多く、長い瓶熟成を行って荒いタンニンを穏やかにしないと、とても飲めないワインであった。古来よりその品質の高さこそは知られてはいたものの、大量生産はできなかった。
バローロの1902年のクーネオ県農業局の報告書によると、ブドウ生産量はドルチェットが約400万kgであったのに対し、ネッビオーロは約10万kgだったというので、ドルチェットの40分の1しか生産されていなかったことになる(バルベーラは140万kg)。さらにフィロキセラの被害と二度の大戦がこの地の農家を苦しめた。
モンフォルテ・ダルバのパルッソを訪れた時、オーナーのティツィアーナ・パルッソは古い時代の写真を見せてくれた。
「敗戦後の苦しい時期に、農家はどこでも、ヘーゼルナッツと桃、柿を植えて暮らしていました。この時代のワイン生産は副業のようなものでしたね。若者はみんなトリノのフィアットに働きに出ていったものです」
そのような状況に変化が起きたのがフランス流の新醸造技術を取り入れた、1970年代のアンジェロ・ガイヤの改革であり、バローロ・ボーイズの台頭であった。クリュの概念、ブドウ栽培技術の刷新、グリーンハーヴェストの導入、フランス製小樽の使用、ロータリーファーメンターなど新設備、カーヴの改良などがあり、めきめきとピエモンテのワインの品質は向上した。この40年間における変化は急激である。1967年にバルバレスコの総面積は190ha(年間生産量120万本)しかなかったのが、2014年には、733ha(435万本)にまで増えている。一躍、イタリア随一のワイン生産地として、世界中にその名を知らしめすことに成功したのである。
改革派によるワイン生産の変化は、あまりにも急だったため、伝統派・革新派の違いや対立がクローズアップされがちである。しかし今回の旅で飲んだワインの味わいにおいて、伝統か、革新かという枠組みが、大きな差を生んでいるように思えなかった。
例えば、バローロ最上の造り手として名高い、ジャコモ・コンテルノは、伝統派の筆頭とみなされている。確かに、熟成用に大樽のみを使用したり、温度管理の難しい開放式大樽で発酵したりするさまは、田舎臭く、昔の造りに感じられるが、モダンなアプローチも垣間見える。例えば、完璧なコルク管理のために、コルク会社と連動して、コルクに識別コードを付け、構造の欠陥を割り出すことによって、より欠陥の無いコルクを生むシステムを導入した。伝統は守っても、自分たちの機材に払う注意は、とても現代的である。
逆に革新派のバルバレスコの造り手ラ・スピネッタは、フランスにも多く輸出している銘柄で、昔から試飲する機会は多かったが、今回の訪問でここ10年の間に随分とエレガントな仕上がりに変化して驚いた。聞くと、「昔は新樽100%でしたが、今は3割程度に変更した」とのこと。行き過ぎた小樽の過剰使用は、抑えられる傾向にある。さらに「ブームに乗ってフレンチ・バリックを導入した人たちの中でも、昔の大樽に戻す生産者もいる」という話も聞いた。
バローロは最低3年、バルバレスコは最低2年と、長い熟成期間が義務付けられている。大量のストックを熟成させるには、大規模のカーヴが必要である。生産量は安定しないので、大樽が大きければ大きいほど良いわけでもない。総じて、ステンレスタンクの使用、小樽の使用は作業の効率化を意味する。1970年代の新技術登場による変化は、初期投資額の低減と、新規ワイナリーの参入という意味において重要だった。広大な土地の地主や、貴族、協同組合に対抗して、若い小さな生産者たちが新しい技術、知恵、スタイルを駆使した一連の運動を可能にした。それは、革新派だけに変化をもたらしたのではなく、伝統派の生産者にも少なからず変化をもたらしたのである。もはや、二つの図式でランゲ地区のワインを測るのは無理があるようである。
伝統派と見なされながら、部分的な小樽熟成やフランス品種の植え付けなどモダンな生産方法も導入する、バルバレスコのマルケージ・ディ・グレジーで聞いた、次の言葉が印象的であった。
「数年前は、色調が濃くないと、売れないと言われたものですが、今は逆に薄くて繊細なものが求められています。モードは数年ごとに変わるのです」
白トリュフの試食も旅の目的だが、私にとっての最大の目的は、ピエモンテ州のワイナリー巡りだった。バローロ・バルバレスコ・ロエロと、ランゲ地方のワイン産地を周った。
アルバの北東部、バルバレスコの小高い丘陵の上から北西を見ると、アルプス山脈がこの地一面をおおっているのが見える。北から西、南をぐるっと、アルプス山脈が囲んでいる。この地方が、ピエ(足)・モンテ(山)という名称になったのが、はっきりとわかる。緯度があまり変わらないのに、フランスよりも早く日が暮れるのは、この広大な山の壁がすぐそばにあるからだろう。
トリノを南に下ってすぐは、ずっと緩やかな平地が続くのに対し、ワイン産地の始まるロエロ地区に入るとすぐに、急峻な丘陵地が現れる。ここは、イタリア半島を背骨のようにして支える、アペニン山脈の最初の連なりの一つである。
気の遠くなるような昔のこと。漸新世(約3400万年-2300万年前)の終わりに、アフリカ大陸のプレートはユーラシア大陸のプレートに激突し、その地中深くに滑り込んだ。急激な衝突では無かったが、ヨーロッパ大陸に強い圧力を生み、押し上げる力でアルプス山脈を生み出した。その後、アドリアプレートが沈降し、アペニン山脈が隆起するに伴い、ピエモンテ南部のランゲ地区は地表に迫り上がる。もともとテチス海に堆積されて形成された土壌は、圧縮されることによって様々な変成岩を生み出した。
イタリア中の土地がこの地殻変動イベントに大きな影響を受けているのは間違いないが、ピエモンテのワインの畑に大きな個性を与えているのは、隆起しても、第四紀の氷河期に削り切り取られなかった、中新世(約2300万-500万年前)のマール質粘土と砂土壌である。サーラバリアン(Sarravallian,1382-1162万年前)、トートニアン(Tortonian,1162-724万年前)、メッシニアン(Messinian,724-533万年前)の3つの時代のアルカリ性の地層が複雑に絡まり合う。
一般的に、サーラバリアン紀の土壌は石灰質でpHが低く、トートニアン紀は砂質であることが多い。だからバローロの中でも、サーラバリアン紀のセッラルンガ・ダルバ村とモンフォルテ・ダルバ村のワインは最もタニックで強靭なスタイルだが、トートニアン紀のカスティリオーネ・ファレット村やラ・モッラ村のワインは繊細タイプである。これはバルバレスコでも同じで、サーラバリアン紀のトレイゾ村のワインよりも、トートニアン紀のバルバレスコ村とネイヴェ村の方がエレガントなワインが多いようだ。
この特殊な土地に根ざした、ネッビオーロ品種は、どんな品種よりも発芽が早いのに、どんな品種よりもブドウの成熟が遅い。霜害のリスクが高いだけでなく、成熟前の雨のリスクも多い。さらに種のタンニンが多く、長い瓶熟成を行って荒いタンニンを穏やかにしないと、とても飲めないワインであった。古来よりその品質の高さこそは知られてはいたものの、大量生産はできなかった。
バローロの1902年のクーネオ県農業局の報告書によると、ブドウ生産量はドルチェットが約400万kgであったのに対し、ネッビオーロは約10万kgだったというので、ドルチェットの40分の1しか生産されていなかったことになる(バルベーラは140万kg)。さらにフィロキセラの被害と二度の大戦がこの地の農家を苦しめた。
モンフォルテ・ダルバのパルッソを訪れた時、オーナーのティツィアーナ・パルッソは古い時代の写真を見せてくれた。
「敗戦後の苦しい時期に、農家はどこでも、ヘーゼルナッツと桃、柿を植えて暮らしていました。この時代のワイン生産は副業のようなものでしたね。若者はみんなトリノのフィアットに働きに出ていったものです」
そのような状況に変化が起きたのがフランス流の新醸造技術を取り入れた、1970年代のアンジェロ・ガイヤの改革であり、バローロ・ボーイズの台頭であった。クリュの概念、ブドウ栽培技術の刷新、グリーンハーヴェストの導入、フランス製小樽の使用、ロータリーファーメンターなど新設備、カーヴの改良などがあり、めきめきとピエモンテのワインの品質は向上した。この40年間における変化は急激である。1967年にバルバレスコの総面積は190ha(年間生産量120万本)しかなかったのが、2014年には、733ha(435万本)にまで増えている。一躍、イタリア随一のワイン生産地として、世界中にその名を知らしめすことに成功したのである。
改革派によるワイン生産の変化は、あまりにも急だったため、伝統派・革新派の違いや対立がクローズアップされがちである。しかし今回の旅で飲んだワインの味わいにおいて、伝統か、革新かという枠組みが、大きな差を生んでいるように思えなかった。
例えば、バローロ最上の造り手として名高い、ジャコモ・コンテルノは、伝統派の筆頭とみなされている。確かに、熟成用に大樽のみを使用したり、温度管理の難しい開放式大樽で発酵したりするさまは、田舎臭く、昔の造りに感じられるが、モダンなアプローチも垣間見える。例えば、完璧なコルク管理のために、コルク会社と連動して、コルクに識別コードを付け、構造の欠陥を割り出すことによって、より欠陥の無いコルクを生むシステムを導入した。伝統は守っても、自分たちの機材に払う注意は、とても現代的である。
逆に革新派のバルバレスコの造り手ラ・スピネッタは、フランスにも多く輸出している銘柄で、昔から試飲する機会は多かったが、今回の訪問でここ10年の間に随分とエレガントな仕上がりに変化して驚いた。聞くと、「昔は新樽100%でしたが、今は3割程度に変更した」とのこと。行き過ぎた小樽の過剰使用は、抑えられる傾向にある。さらに「ブームに乗ってフレンチ・バリックを導入した人たちの中でも、昔の大樽に戻す生産者もいる」という話も聞いた。
バローロは最低3年、バルバレスコは最低2年と、長い熟成期間が義務付けられている。大量のストックを熟成させるには、大規模のカーヴが必要である。生産量は安定しないので、大樽が大きければ大きいほど良いわけでもない。総じて、ステンレスタンクの使用、小樽の使用は作業の効率化を意味する。1970年代の新技術登場による変化は、初期投資額の低減と、新規ワイナリーの参入という意味において重要だった。広大な土地の地主や、貴族、協同組合に対抗して、若い小さな生産者たちが新しい技術、知恵、スタイルを駆使した一連の運動を可能にした。それは、革新派だけに変化をもたらしたのではなく、伝統派の生産者にも少なからず変化をもたらしたのである。もはや、二つの図式でランゲ地区のワインを測るのは無理があるようである。
伝統派と見なされながら、部分的な小樽熟成やフランス品種の植え付けなどモダンな生産方法も導入する、バルバレスコのマルケージ・ディ・グレジーで聞いた、次の言葉が印象的であった。
「数年前は、色調が濃くないと、売れないと言われたものですが、今は逆に薄くて繊細なものが求められています。モードは数年ごとに変わるのです」
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