- FREE
ヴィノテーク 2016年1月号掲載
3年に一度の「ソムリエのオリンピック」第15回A.S.I.世界最優秀ソムリエコンクールが、2016年4月にアルゼンチン・メンドーサで開かれる。日本からはアジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクールで優勝した石田博(Souplesse)と日本代表選考会で選ばれた森覚(コンラッド東京ヘッドソムリエ)が出場する。頂点に立つふたりは、日本のソムリエ界が成熟したことを象徴している。
今は国際ソムリエ協会会長を務める田崎真也が、東京で開かれた世界コンクールで優勝したのが1995年。東洋から初めて誕生したチャンピオンは、後継者の育成に力を入れた。手本も見本もなかった状況で苦労した体験から、自分の体験を伝えようという思いがあった。その後、登場したトップソムリエの大半が、田崎の弟子といっても過言ではないだろう。日本のワイン業界から生まれた初の日本人マスター・オブ・ワインの大橋健一も、勉強会で薫陶を受けたひとりだ。そんな中で、トップの資質を備え、努力を続けたのが石田だ。7回行われた全日本コンクールで3度、優勝し、2000年のモントリオール大会で3位に入賞した。活躍する石田にあこがれてソムリエを志したのが森だ。石田が講義するワインスクールの生徒だったこともある。森は田崎の孫弟子の世代にあたる。田崎を親とすれば、20年足らずで、孫まで育ったのだ。
ふたりの軌跡を振り返ると、別の思いにとらわれる。いずれも、ホテルニューオータニの「トゥールダルジャン東京店」の出身者だが、今回はその傘から飛び出した。全日本最優秀ソムリエコンクール優勝者の5人のうち、谷宣英を含む3人がここで育った。ホテル側もコンクールで勝てるソムリエの育成に力を入れてきた。ソムリエの「虎の穴」だが、今はふたりとも独力で戦う環境をつくって戦おうとしている。日本的な大企業の庇護のもとではない。それは技術の成熟とは別の意味で、トップソムリエが自立したことを象徴している。
コンクールで戦うソムリエはいわばアスリートだ。アスリートは自分の意志と戦略で、働く企業やスポンサーを選ぶ。戦うための費用や時間を計算して、最も効率的に戦える環境づくりから勝負は始まるのだ。2010年のチリ大会で優勝したイギリス代表のジェラール・バッセは、夫婦でホテルを経営する形で財政的な基盤を築いた。だから、6度も世界コンクールに挑戦して栄冠を手に入れることができた。過去の優勝者たちの例は、日本の挑戦者にもお手本になった。石田は「ベージュ東京」など一流レストランで、ワインに触れない管理職の苦しみを経験した。そこから、ひとつの企業に所属するのではなく、コンサルタント的な仕事に軸足を移し、マイペースを定めて、コンクールに出場する道を選んだ。昨年一年間は、各国の産地を精力的に訪問して、最新情報を手に入れ、語学とテイスティングを磨いてきた。一方で、サーヴィスの現場にも立ってきた。最初から世界に水準を絞ってトレーニングしており、11月に香港で開かれたアジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクールは通過地点にすぎない。
森もトゥールダルジャンという恵まれた環境を捨て、コンラッド東京のヘッドソムリエに転職した。こちらも管理職の苦しさはあるようだが、外資系という自由な職場環境を生かしている。部下に仕事を任せられる仕組みを築いて、技術に磨きをかけている。コンラッド東京は、都内で世界のトップ生産者を迎えるイヴェントが最も多いホテルのひとつだ。外に開かれている。イヴェントで見せる洗練されたサーヴィスに曇りはない。ワインも料理もフレンチ・オンリーのトゥールダルジャンと違って、和食、フレンチ、中華料理のレストランを備えている。各国から訪れるゲストの要求に応えるのも、コンクール向けトレーニングにつながっているという。
とはいえ、世界のソムリエも進歩を止めているわけではない。過去のチャンピオンの多くがヨーロッパのコンクールの優勝者だ。ヨーロッパを制する者は世界を制する。近年はアメリカ、アジア・オセアニアと地域別のコンクールが充実し、各地の選手のレヴェルが底上げされてきた。田崎は「それこそが、国際ソムリエ協会が力を入れてきたこと。選手のレヴェルは毎回、上がっている。一方で、問題は難しくなっているが、対応するトレーニング・ツールも用意されているから、条件は同じ。日本人選手の弱みは語学だろう」と語る。
これは容易に克服できない。アジア・オセアニア最優秀コンクールや日本代表選考会を見る限り、ふたりのコミュニケーション能力に問題はないが、ギリギリの戦いになったとき、数カ国語を操れる選手との間でわずかな差が生じる可能性はある。ふたりともその問題は自覚している。大会までに海外での研修を計画している。海外の未知のレストランでの研修は語学だけでなく、不測の事態への対応能力も鍛える。バッセはチリ大会の前年に、星付きレストランに見習いに入り、グラスの場所もわからない状況でもサーヴィスできる能力を鍛えた。落とし穴の多いコンクールの実技で勝つには、そこまで突き詰める必要があるのだ。
石田は「ふたりでふたつのメダルを持ち帰りたい」と抱負を語る。日ノ丸を背負って戦うが、技術と精神は世界標準に達している。12時間の時差がある南米で、日本のソムリエの成熟と進化を見せてくれるだろう。
肩書は当時のまま。敬称略。
3年に一度の「ソムリエのオリンピック」第15回A.S.I.世界最優秀ソムリエコンクールが、2016年4月にアルゼンチン・メンドーサで開かれる。日本からはアジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクールで優勝した石田博(Souplesse)と日本代表選考会で選ばれた森覚(コンラッド東京ヘッドソムリエ)が出場する。頂点に立つふたりは、日本のソムリエ界が成熟したことを象徴している。
今は国際ソムリエ協会会長を務める田崎真也が、東京で開かれた世界コンクールで優勝したのが1995年。東洋から初めて誕生したチャンピオンは、後継者の育成に力を入れた。手本も見本もなかった状況で苦労した体験から、自分の体験を伝えようという思いがあった。その後、登場したトップソムリエの大半が、田崎の弟子といっても過言ではないだろう。日本のワイン業界から生まれた初の日本人マスター・オブ・ワインの大橋健一も、勉強会で薫陶を受けたひとりだ。そんな中で、トップの資質を備え、努力を続けたのが石田だ。7回行われた全日本コンクールで3度、優勝し、2000年のモントリオール大会で3位に入賞した。活躍する石田にあこがれてソムリエを志したのが森だ。石田が講義するワインスクールの生徒だったこともある。森は田崎の孫弟子の世代にあたる。田崎を親とすれば、20年足らずで、孫まで育ったのだ。
ふたりの軌跡を振り返ると、別の思いにとらわれる。いずれも、ホテルニューオータニの「トゥールダルジャン東京店」の出身者だが、今回はその傘から飛び出した。全日本最優秀ソムリエコンクール優勝者の5人のうち、谷宣英を含む3人がここで育った。ホテル側もコンクールで勝てるソムリエの育成に力を入れてきた。ソムリエの「虎の穴」だが、今はふたりとも独力で戦う環境をつくって戦おうとしている。日本的な大企業の庇護のもとではない。それは技術の成熟とは別の意味で、トップソムリエが自立したことを象徴している。
コンクールで戦うソムリエはいわばアスリートだ。アスリートは自分の意志と戦略で、働く企業やスポンサーを選ぶ。戦うための費用や時間を計算して、最も効率的に戦える環境づくりから勝負は始まるのだ。2010年のチリ大会で優勝したイギリス代表のジェラール・バッセは、夫婦でホテルを経営する形で財政的な基盤を築いた。だから、6度も世界コンクールに挑戦して栄冠を手に入れることができた。過去の優勝者たちの例は、日本の挑戦者にもお手本になった。石田は「ベージュ東京」など一流レストランで、ワインに触れない管理職の苦しみを経験した。そこから、ひとつの企業に所属するのではなく、コンサルタント的な仕事に軸足を移し、マイペースを定めて、コンクールに出場する道を選んだ。昨年一年間は、各国の産地を精力的に訪問して、最新情報を手に入れ、語学とテイスティングを磨いてきた。一方で、サーヴィスの現場にも立ってきた。最初から世界に水準を絞ってトレーニングしており、11月に香港で開かれたアジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクールは通過地点にすぎない。
森もトゥールダルジャンという恵まれた環境を捨て、コンラッド東京のヘッドソムリエに転職した。こちらも管理職の苦しさはあるようだが、外資系という自由な職場環境を生かしている。部下に仕事を任せられる仕組みを築いて、技術に磨きをかけている。コンラッド東京は、都内で世界のトップ生産者を迎えるイヴェントが最も多いホテルのひとつだ。外に開かれている。イヴェントで見せる洗練されたサーヴィスに曇りはない。ワインも料理もフレンチ・オンリーのトゥールダルジャンと違って、和食、フレンチ、中華料理のレストランを備えている。各国から訪れるゲストの要求に応えるのも、コンクール向けトレーニングにつながっているという。
とはいえ、世界のソムリエも進歩を止めているわけではない。過去のチャンピオンの多くがヨーロッパのコンクールの優勝者だ。ヨーロッパを制する者は世界を制する。近年はアメリカ、アジア・オセアニアと地域別のコンクールが充実し、各地の選手のレヴェルが底上げされてきた。田崎は「それこそが、国際ソムリエ協会が力を入れてきたこと。選手のレヴェルは毎回、上がっている。一方で、問題は難しくなっているが、対応するトレーニング・ツールも用意されているから、条件は同じ。日本人選手の弱みは語学だろう」と語る。
これは容易に克服できない。アジア・オセアニア最優秀コンクールや日本代表選考会を見る限り、ふたりのコミュニケーション能力に問題はないが、ギリギリの戦いになったとき、数カ国語を操れる選手との間でわずかな差が生じる可能性はある。ふたりともその問題は自覚している。大会までに海外での研修を計画している。海外の未知のレストランでの研修は語学だけでなく、不測の事態への対応能力も鍛える。バッセはチリ大会の前年に、星付きレストランに見習いに入り、グラスの場所もわからない状況でもサーヴィスできる能力を鍛えた。落とし穴の多いコンクールの実技で勝つには、そこまで突き詰める必要があるのだ。
石田は「ふたりでふたつのメダルを持ち帰りたい」と抱負を語る。日ノ丸を背負って戦うが、技術と精神は世界標準に達している。12時間の時差がある南米で、日本のソムリエの成熟と進化を見せてくれるだろう。
肩書は当時のまま。敬称略。
購読申込のご案内はこちら
会員登録(有料)されると会員様だけの記事が購読ができます。
世界の旬なワイン情報が集まっているので情報収集の時間も短縮できます!