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世界で最大の影響力をふるったボルドー出身のコンサルタント、ミシェル・ロランが、19日から20日にかけての夜、心臓発作で亡くなった。78歳だった。
ロランは1947年にポムロールのシャトー・ボン・パストゥールの一家に生まれた。近代醸造学の父と呼ばれたボルドー大学のエミール・ペイノー教授やパスカル・リベロー・ガイヨンらに師事して、醸造家として頭角を表した。
1973年、リブルヌに妻のダニーと共に「ラボラトリー・ロラン」を設立し、ボルドー右岸のトロロン・モンドやアンジェリュスから始めて、世界のワイナリーのコンサルティングをしてきた。
カリフォルニアのカルトワインに始まり、チリやアルゼンチン、イタリア、スペインなど世界のワイン産地をカバーし、空飛ぶワインメーカーと呼ばれた。コンサルティングするワイナリーは軽く200軒を超していた。
同じ1947年生まれの評論家ロバート・パーカーとともに、1990年代以降のワイン産業に大きな影響を与えた。新樽をたっぷりと使って、低収量から凝縮した果実味を生かしたワインで高い評価を集めた。そのスタイルはワインを画一化すると批判の対象ともなったが、ワイン産業のグローバル化に貢献したのは間違いなく、大きな足跡を残した。
ブレンダーとして飛び抜けた才能を示した。一流のワインメーカーを抱えるナパのハーラン・エステートやダラ・ヴァレの支配人やオーナーから、ブレンド時に訪れるロランが、100を超す区画や品種別のワインを試飲して、短時間で適切なブレンドを提案したという逸話を何度も聞かされた。
パーカーがロランの関与したワインに高得点を与えたため、2人は新樽を多用する凝縮したワインの氾濫する”パーカーリゼーション”の元凶と誤解されているが、高品質ワインを世界に広めたのは間違いない。ボルドーですら、未熟なブドウを不衛生な中古樽で熟成していた1980-1990年代に、熟したブドウを清潔な環境で熟成する栽培・醸造をするように指導した。中国のような新興国もその後を追いかけた。
パーカーが引退した後、消費者の味覚が変化している。ロランの死が時代の変換点を記している。
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