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世界のワイントレードの中心地ロンドン。20代で単身で乗り込み、活躍する2人のトップ日本人ソムリエに会った。1人は世界最高のレストランに選ばれた「ファット・ダック」の織田楽。もう1人はSAKEのペアリングで頭角を現した懐石料理「露結 (Roketsu)」の眞塩亮介。語学学校から始めた2人はどのように学び、道を切り開き、40前後にして地位を築いたのか。(敬称略)
世界の客を迎える「ファット・ダック」の織田楽
マスター・オブ・ワインでステップアップ目指す
2人に出会えたのは、世界屈指のSAKEコンペティション「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」(IWC)のSAKE部門の審査員をしていたから。洗練された織田と野武士のようなたたずまいの眞塩。ロンドンの雑踏ですれ違っても、オーラを感じるタイプではないが、言葉は熱く、自力でハードルを乗り越えてきたタフさが伝わってくる。
1981年、愛知生まれの織田は、地質学を学んだ島根大学時代にカフェバーで働いた。飲食業に興味を持って2004年に東京に出た。HUGEのCEO新川義弘が活躍していた時代の「グローバルダイニング」で働き、銀座コリドー街の「ル・シズィエム・サンス・ドゥ・オエノン」を経て、2010年にロンドンに渡った。
「オンライン講座しかなかったWSETのディプロマをとりたかった。グローバルダイニングはマスター・オブ・ワインを目指していたネッド・グッドウィンMWがコンサルタントをしていて、刺激を受けました。それまでの日本のソムリエはフランス語でやっていたのが、森覚さんが英語でコンクールに出てきたころです。どのように勝負したら昇っていけるか。あせっていたので、英語で働くロンドンで勉強しようと」
ワーキングホリデーの条件が、30歳以下で2年間までと緩和されたのもきっかけとなった。語学学校に通いながら、1Kの小さな部屋付きの和食店の仕事を見つけた。ワインリストはある程度、任された。客の半分は現地人だった。
ロンドンではワイン資格は重要
若いうちにしたいことをやる
WSETのディプロマを取得したのは2016年。働きながらなので忙しく、ちょっと時間がかかった。WSETディプロマがキャリアパスにつながりにくい日本と違って、ロンドンでは資格に一定の意味がある。
「ロンドンでワインの仕事を探す場合、ワイン商や輸入業ではWSETはほぼ必須に近いと言えます。レストランではWSETが必須ではありませんが、マスター・ソムリエのレベル3の資格をとっていれば、認められやすい」
ケンジントンのスシ&バー「Yashin」(ヤシン)でヘッドソムリエの職を得て、本格的に仕事を始めた。収支バランスを考えながら自由にワインを仕入れられた。白ワインが7割でメイン。ピュリニー・モンラッシェやムルソーの白をグラスで出し、南アフリカのシュナン・ブランやサヴォワもそろえた。2010年代はブルゴーニュの白も今ほど高くなかった。
転機は2018年にやってきた。就労ビザで5年以上働いて永住権がとれ、自分の意思で店を移籍できるようになった。2020年、パンデミックで多くのレストランが休業していた時期に、ロンドン郊外のファット・ダックに働きたいと連絡をした。美容師の妻へプロポーズした思い出の場所でもあった。
「若いうちにやりたいこと、働きたいところに時間を使わないと、もったいないと思った」
ファット・ダックは2005年の世界のベストレストラン50でトップに選ばれたミシュラン3つ星の名店。トルコ出身のソムリエ、イサ・バルMSは2019年に独立したが、ヘストン・ブルメンタール・シェフの感性を刺激する分子料理は世界から客を集め続けている。
昨年、ヘッド・アシスタント・ソムリエに昇格した。40席に8人のソムリエがサービスする。800種のワイン4000本を保管している。世界から訪れるお客に対応できるバランスのとれたワインリストを備える。フランスのように自国や近くの産地中心ではない。
ブルゴーニュだけでなく、ハンターヴァレーのセミヨン、カナダのカベルネ・フラン、ウルグァイのタナ、グレースの甲州などもそろえている。それらを独創的な料理とのペアリングに使うのはセンスがいる。品揃えはワイントレードの中心ロンドンらしい深みと幅がある。
「一生に一度のイベントとして、高い期待値を持ってくる人々を満足させて帰っていただくのが我々の仕事です。『本当によかった』と言って帰られると本当にうれしい」
英語はしゃべれて当たり前
視野の広さと発想の自由さ
フランスやイタリアなど産地に近いのがロンドンのレストランの強みだ。ソムリエチームが休日に1泊2日でピエモンテ弾丸ツアーをすることもある。勤務時間は長いが25日の有給がある。その余裕は日本のレストランにないものだ。情報収集や資格の勉強に時間をさける。
「英語はしゃべれて当たり前。苦手と言っていられません。全く話せなかったイタリア人の女性は半年でみるみる上達しました。意思と情熱があれば何とかなる。英語の環境で働きたければ、30歳までにワーキングホリデーを利用できる。活用しない手はありません」
語学力では、日本国内のトップソムリエをしのぐだろう。日々の戦場が英語なのだから。イサ・バルはトルコ代表として世界最優秀ソムリエコンクールに出場していた。サッカーのワールドカップのように、織田が日本代表として出場してもおかしくない。
ただ、本人はコンクールよりもマスター・オブ・ワインの挑戦に意識が向いている。今年からレベル1に挑戦している。「細部にフォーカスした専門的知識を求めるマスターソムリエより、経済や政治も含む世界の状況を論理的にとらえるMWのアカデミックな側面に惹かれている」という。
レストランの仕事は、ランチで朝8時から夜7時まで、ディナーで午後3時から夜中の2時まで。ノンストップで集中力と体力を求められる。今年41歳になるのを機に、ネクストステップを模索している。日本ワインとつなぐような仕事も考えている。
世界を見る視野の広さと発想の自由さは、所属する会社を基準に働き方を考える日本のソムリエが持ちにくいものだ。それが強い自立心とグローバルなセンスにつながっている。
懐石料理「露結 (Roketsu)」の眞塩亮介
ワインとSAKEに深く通じる
眞塩は1983年千葉生まれ。織田より2つ年下。ワインはほとんど知らなかった。サッカーが大好きで、2007年にワーキングホリデーでやってきた。23歳だった。「アシスタント・ソムリエ募集」の広告を見て、メイフェアの懐石料理「Umu」に応募して働き始めた。ヨーロッパの日本料理で初めて2つ星を獲得した有名店だ。
伝説的なヘッドソムリエの丹波久美子との出会いで人生が変わった。夜だけ3日間で週20時間という契約だったが、ワインの世界にどっぷりとはまった。2日間は無給でいいという条件で働き、現場でほかのソムリエを見て知識やサービスを盗んだ。700種のワインと120種のSAKEをそろえた、ロンドンを代表する日本料理レストランだった。
「初めて感動したワインは、2008年に飲んだドメーヌ・ルロワのサヴィニ・レ・ボーヌ・ナルヴァントンです。350ポンドでした。ワインは飲むのも好きですが、勉強に終わりがないところが面白い」
そうしたレアワインが身近にあったのもその後の仕事に役立った。王室、ハリウッドセレブ、ファッション関係者らが訪れるゴージャスなレストランだった。箱も大きく、音楽がガンガン鳴っていた。フレンチなど4店の系列店があり、異なるタイプの店で働くことで、料理やワインの幅広い知識を身に着けた。すぐにWSETのレベル3を取得した。
毎日のように試飲会に通う
すぐにWSETレベル3を取得
サッカーのためにわざわざロンドンにやってきたような熱い男だ。熱中したら止まらない。毎日のように、インポーターやディストリビューターの試飲会をはしごした。イザベル・エジュロンMW主宰の自然派ワインの祭典「RAW」にも足を運んだ。そうした機会があるのがロンドンの良さ。短期間で経験値は飛躍的に高まった。
ロンドンには世界中のワインが集まる。情報もあふれている。売り手も買い手も次なるトレンドを探している。そこが世界のワイントレードの中心たる所以だ。眞塩はその渦の中でどん欲に知識と技術を身に着けた。
ある日、常連客から声をかけられた。
「リョウスケ、本格的な会席料理をオープンするんだ。一緒にやらないか」
それが2021年に開店した露結 (Roketsu)だ。
料亭「菊乃井」のオーナーシェフ村田吉弘の弟子で、2008年洞爺湖G8サミットで日本料理の責任者を務めた林大介シェフが、樹齢100年の檜のカウンターの前に立って腕を振るう。コーンウォールの漁師から直接届く魚介類は新鮮で、スコットランドからは良質の甲殻類も仕入れるという。インディペンデント紙にも紹介され既に予約がとれない。
SAKEペアリングで常連客引き付ける
IWCのSAKE審査で学びトレンドを知る
マネジャー兼ソムリエとして、350種のワインと70種のSAKEを管理する。ワインはコシュ・デュリのアリゴテから、ペトリュス、ロマネ・コンティまで揃える壮麗な顔ぶれ。SAKEも十四代や醸し人九平次の特別なキュヴェをそろえる。
「幸運なことに、月ごとに変わるメニューに合わせて来店いただけるお客さまもいます。SAKEはまだワインのようにブランド名までは広くしられていませんが、ワインのインポーターが輸入し始めたので、ここ10年から15年で広がっています。ペアリングでいかに紹介するかがポイントです」
190ポンドで10皿のコースに対して、SAKE4グラスのペアリングメニューを95ポンド、150ポンド、200ポンドで用意している。ロンドンのワインの通たちが眞塩のペアリングから、SAKEの新しい世界を発見しているのだ。
「お勧めしたワインやSAKEを喜んでもらえた時が一番うれしいです」
寡黙な性格だが、仕事の原動力は織田と同じ。客の喜びが満足につながっている。
ゼロから始めて16年。40になる手前で地位を築いた。ドリンクス・ビジネスは「ロンドンでワインとサケの両方に深い知識を有する数少ないソムリエの1人」と称賛した。
「最初のUmuの段階で恵まれていました。ソムリエチームの15人にはマスターソムリエやフランスで活躍した人もいましたから」と謙虚だが、人知れず陰で努力しなければここまでこれなかっただろう。
織田も眞塩も多忙な合間をぬって、IWCのSAKE部門ジャッジを務めている。勉強になるし、トレンドが読めるからだという。地位を確立しても、いや上に立ったからこそ、努力を続けないと追いつかれてしまう。
世界のワイン最前線で成功した日本人ソムリエは、ボルドーの「コルディアン・バージュ」の石塚秀哉、トスカーナの「エノテカ・ピンキオーリ」の黒田敬介らごく少ない。SAKEという生まれた国の武器を手に、ワイントレードの中心地ロンドンでも新世代の才能が台頭している。
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