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カリフォルニア・ソノマの伝説的なピノ・ノワール生産者「ウィリアムズ・セリエム」の創設者バート・ウィリアムズが11日、パーキンソン病のため亡くなった。79歳だった。
ウィリアムズとエド・セリエムは1979年、サンタ・ローザ北のフルトンのガレージで、ワイン造りを始めて、カリフォルニアで初のカルト・ピノ・ノワール生産者となった。栽培家のジョー・ロキオリやハワード・アレンの畑名を表示したワインを80年代初頭からいち早く生産。「Rochioli Vineyard Pinot Noir 1985」がカリフォルニア州の農業フェアで受賞しブレイクした。ロシアン・リヴァー・ヴァレーの潜在力を世に知らしめ、カリフォルニアからテロワールを表現するピノ・ノワールが造れることを世界に示した。
栽培農家と密接に連携し、力強いワインが多かった時代に、糖度ではなく酸度によって収穫時期を決めた。ポンプオーバーもフィルターもせず、ブルゴーニュ的なセクシーなピノ・ノワールをものにした。ハンゼル、カレラ、デイビス・バイナムらと並ぶアイコン的なピノ・ノワール生産者の1人。デヴィッド・ハーシュ、ロス・コブら大勢のワインメーカーに影響を与えた。
ウィリアムズは1940年生まれ。サンフランシスコ・クロニクル紙の印刷工をしていたが、20代でブルゴーニュのピノ・ノワールの魅力に取りつかれた。住まいのあったフォレストヴィルの隣人で、地元の食料雑貨店のワインバイヤーをしていたエド・セリエムと組んで、ワイン造りを始めた。
ウィリアムズは本を読んで独学でワイン造りを覚えたワインメーカーで、セリエムはマーケッティングと販売を担当した。当初は本業との兼業で予算がなく、ステンレス製乳製品タンクで発酵を行った。メーリングリストで販売する手法を始めた先駆でもあった。
ウィリアムズは92年にワイナリー専業となったが、2人は98年にワインのファンだったNYの実業家ジョン・ダイソンにワイナリーを売却した。セリエムはアラスカとハワイで引退生活を送っているが、ウィリアムズはカリフォルニアにとどまり、一時はメンドシーノのアンダーソン・ヴァレーで「モーニング・デュ・ランチ」名でピノ・ノワールを造っていた。2016年にパーキンソン病と診断された。
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