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草を喰むのは心豊かにするため
2019年「ソムリエ」166号掲載
京都で、いや日本で最も予約がとれない日本料理店の一つだろう。洛北の銀閣寺の近くにひっそりとたたずむ「草喰なかひがし」。観光客の行き交う通りに面していながら、年季の染み込んだ格子戸と窓は、街並みに溶け込んでいる。知らなければ通り過ぎてしまう。この料理店に、毎月1日、翌月の予約が一斉に殺到する。13席のカウンターはあっという間に埋まる。
現在の活況からは想像できないが、97年に開店した当初は閑古鳥が泣いていた。
主人の中東久雄は、明治28年から続く、奥座敷の花背の里にある「美山荘」の3代目吉次の弟である。摘み草料理で知られるその料理旅館から独立し、自分の店を構えた。38歳だった。バブルが弾けた後で、潤沢な資金もなくて、あわただしい状態での開店となった。
包丁もレジもなしで開店
「招待状出したから、4月1日に店は開けないといけないのに、前日までガスが通じていなかった。青くなってました。大工や左官への支払いも必要ですが、お金がない。包丁もなかったから、天神さん(北野天満宮)の市に出かけて、3、4丁買ってきました。錦市場の魚屋が廃業した人がレジを持っているという。料理人も足りなかったので、『レジもってきて、魚もさばいて』と頼みました」
大学ノートの予約帳は、見開きで4日間分だったが、なかなか埋まらなかった。子供が3人いた。この先どうなるのだろう。あせっていた。
その後、妻と新店舗の料理屋に出かけた時のことだ。食事しながら、ボロボロと泣き始めた。その店にはレジがあった。「うちの店にはなかった」と、レジもないまま店を開いた時の辛さがよみがえったのだ。
お客さんが来るようになったのは、メディアが広めて、開店から1年半ほどたってからの話だ。『家庭画報』や雑誌『dancyu』に掲載されて、知られるようになった。dancyuは1年以上かけて、野山に出向いたり、調理場での火加減を取材して、連載した。
大地の恵みを口から
体に入れる草を喰む料理
中東の本質を知るには、料理を食べるより、野山を歩いた方がいい。
店から北へ車で30分ほど走り、大原の里に着いた。史跡や観光客でにぎわう市街から少し離れただけで、素朴な野菜畑が広がっている。小川に澄んだ水が流れている。半世紀前の日本にはどこでもあった風景で、心地よい秋の風に吹かれながら、京都の懐の深さを思い知った。この自然があるからこその、草喰料理なのだろう。
11月の陽を浴びて、大根、カイワレや水菜、カブの葉がキラキラと輝いている。どれをつまんでも味が違う。自然な苦みや甘みがじわりと広がる。一括りに出来ない。
土手で、中東が地面を探り始めた。
「つくしですよ。見てください」
小さな芽がわずかに顔をのぞかせている。
噛むとほのかに苦く、ほのかな甘みと土の香りが口中に広がった。
つくしは春の食べ物のイメージがあったが、既に土中に根をはっているのだ。1月から春まで頭を出しているつくしを毎日摘みにいく。
冬の間に体力を蓄えるブドウを思い出した。暖かくなると樹液が上がり、発芽に向けて力を蓄える。やがて、花が咲いて、実をつける。栽培家の仕事は、ブドウが大地の滋養を吸い上げて、天に伸びていくのを助けて、ワインに仕上げることだ。ワインを造るのではなく、産まれるのに手を貸す産婆のようなものだ。
中東の仕事もそれと似ている。野菜や山菜が野に育っている。自ら自然に分け入り、太陽と水の恵みを受けた大地のみのりをすくい上げて、口から体に入れる。それが彼の摘み草料理なのだ。
「命をつなぐために、命あるものをいただくんです。草を喰むのは、命を食べること。心に栄養を与えるんです。自然からかけ離れた料理では、いくら表面の色や形をつくろっても、心にまで届きません」
文明が発達して、農耕が定着したが、人は命あるものからエネルギーをもらっているという事実は変わらない。「いただきます」とは、肉や魚、野菜の命を自分の命にすることである。
食事という営みの根本にあるその大原則は、どんな料理でも、どんな料理店でも変わらない。1人で握る寿司だろうが、調理に窒素ガスを使ってソムリエや給仕人を動員して供するフランス料理だろうと、原理は同じだ。その真理を思い出させる中東の言葉だった。
野を駆け回りご馳走にする
ただ、それを「ご馳走」に高めるには、経験と努力が必要となる。野を歩き、地べたにはいつくばり、素材を集めて、もてなすから、お客の心を打つ料理になるのだ。焼くのか、茹でるのか。調理の仕方は、食材を見ているうちに、あちらから教えてくれるという。
「食材はインターネットでもそろうようになりましたが、身の丈を忘れてはいけません。探しにいくのではなく、自然の中にあるものを待っていないと」
中東は、NHKから「男の食彩」への出演を要請された時も、東京のスタジオでの調理を断った。野菜は運べても、水と空気は持っていけないからと。ワインも昔はそうだった。保存や運搬の技術が発達する前は、産地でないとおいしく飲めない飲み物だった。
中東と大原を歩いていると、すれ違うすべての農民が声をかけてくる。集落に溶け込んでいる。ブルゴーニュで造り手と畑を歩いていると、近くの造り手だれもがあいさつしてくるのと同じだ。
「この野菜、持っていきなよ」
農民は中東を通じて、野菜を生かしてほしいのだ。
彼の下には、日本だけでなく、「アルページュ」のアラン・パッサールや、世界で最も多くの星を持つ料理人の1人アラン・デュカスら世界の3つ星料理人が訪れる。彼はシェフたちを畑に連れて行く。それが彼の信念を語る近道だからだ。
デュカスは革靴で、ずんずんと勝手に畑に入り、引き抜いた人参の野菜をぬぐって、かじった。「東京の野菜はおいしくないと思っていたけど、これはおいしい」と。
主食はめざしと白飯
中東の店の主食はかまどさんで炊き上げた白飯とめざしだ。めざしは山口・萩の港から揚がるものを出している。西陣の旦那衆が気に入ってくれた。
「料理屋でめざしかいな。初めて聞いたわ」
食べている内に「これうまいな。もう1匹焼いてくれるか」
それ以来、定番になった。
ワインはロワール・サヴニエールのドメーヌ・タイランディエとボーペイサージュのマスカットベリーAを基本としている。醤油でも、肉でも、野菜でも合うのが気に入っている。いずれもピュアでナチュラル。大地の力を引き出した料理と合うのは想像がつく。
自然と共にくらし、その力をいただき、自然なワインと合わせている。
中東久雄(なかひがし・ひさお)
1952年生まれ。料理旅館「美山荘」に生まれ育ち、1997年4月に「草喰なかひがし」を開店。京都で最も予約が取りにくいお店の一つ。
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