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ブルゴーニュに強いインポーター「エイ・エム・ズィー」(AmZ)会長の松田豊さんが17日、亡くなった。69歳だった。2015年ごろからがんと闘っていた。
通夜は21日午後6時から、東京・品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。告別式は同所で22日午前10時から。喪主は妻の幸子さん。斎場の電話は03-3491-0213。
松田さんは1950年、東京・港区の出身。84年にラック・コーポレーションに入社して営業部長を務めた後に独立して、89年にAmZを興した。初期にジョセフ・ロティ、ポール・ペルノ、エマニュエル・ルジェらを輸入して、ブルゴーニュのドメーヌワインの魅力を広めた。ロティ、ペルノ、ドメーヌ・ド・ラルロ、ロベール・シリュグ、古酒のルモワスネ・ペール・エ・フィスなどが現在のポートフォリオの中心となっている。
ラック・コーポレーション時代に、エージェント業ソシエテ・サカグチ代表の坂口功一さんと知り合い、2人でブルゴーニュ、ロワール、シャンパーニュなどの生産者を発掘した。AmZを設立してからも、2人の関係は続いた。誠実で、正直な態度は、生産者からも日本のワイン業界関係者からも尊敬と親近感を持って受け止められていた。
2人の関係は拙著「ブルゴーニュと日本をつないだサムライ]に描かれているように、厚い情熱と信頼に結ばれたものだった。良質なワインが日本で気軽に飲める裏には、インポーターやエージェントたちの地道な努力がある。
AmZの松田龍太社長が発表したコメントは次の通り。
「会長は生前より坂口さんのおかげでここまでやってこれたと、常々話しておりました。会長は坂口さんとの信頼関係、生産者との信頼関係、お客様との信頼関係を本当に大事にされてきました。ワインを通じて人とのつながりを築かれ、本当に尊敬出来る会長でした。これからも会長の意思を受け継ぎ、エイエムズィーは人と人との信頼関係を大切に、最初から最後まで仕事を全うする会社であり続けたいと思います」
フランス在住の坂口さんは入院の連絡を聞いて、東京に戻り、3日間滞在して、松田さんの家族と共にお見舞いした。フランスに帰国後、亡くなったとの連絡を受けた。坂口さんから寄せられた追悼文は次の通り。
松田豊さん追悼の辞
ご逝去の報を昨夜受け取って以来ずっと、松田さんのことを考えています。
35年前に松田さんにお会いしたことが、その後の私の人生の方向を決定づけました。
今私がワインの世界に身をおいていられるのも、松田さんあってのことです。
それ以来、公私にわたりお付き合いをさせていただき、その誠実で純粋で優しい人柄の松田さんにどれだけ助けられ、導かれたか図りしれません。
どのような商品を探せばビジネスに結びつく可能性があるのかを教えてくれた最初の人であり、実際に最初のオーダーを出してくれた方です。
それ以来一緒に商品探しのために産地をまわり、徐々にネットワークを広げてゆきました。
生産者の皆さんも例外なく松田さんの誠意ある態度に尊敬の念を示しておりました。
家族そろってお付き合いをさせていただき本当にお世話になりました。
会社設立以来、お世話になった御恩に報いるために、私は仕事に取組みました。まだまだお返しが足りないと常日ごろ思っていましたが、病のためにこのように早くお別れする日がきてしまい、大変残念であり、申し訳なく思っています。
二人で生涯現役で頑張ろうと話し合っておりました。まだまだこれからご活躍できる年齢であり、松田さんもさぞかし無念なことでしょう。
しかし、松田さんは実に充実した立派な人生を送られたと思います。
ラック・コーポレーションの基礎を築き、その後独立してAMZ社をたちあげ、外部の資本に頼ることなく、独自の力で立派な会社に育てあげられました。
日本のワイン市場の揺籃期に苦労をしながら道をひらき、世界有数の市場へと発展する過程で残した功績は偉大なものがあります。
決して嘘をつかず、約束をまもり、何時も誰に対しても真摯な態度をくずしませんでした。
プライベートの面でも、奥様と力を合わせてお手本のような家庭を築かれました。
3人の息子さんに恵まれ、9人のお孫さんに囲まれた写真を拝見するたびに, 感心するとともにちょっぴりうらやましくもありました。
松田さんは単なるお取引相手ではありません。
人生の中で巡り合ったもっとも重要な人物の一人であり、貴重な友人であり、同じ感性で話し合える仲間でした。
私の妻の葬儀にかけつけて涙を流して下さったのは5年前のことでした。それが今は松田さんご自身が憎い癌のために亡くなってしまうという、これは受け入れがたい事実であります。
なぜこんな善良な素晴らしい人がこんなに早くこの世をさられてしまうのでしょう。
入院されたとご連絡をいただき、病院にお見舞いにうかがった時はすでに意識が朦朧とした状態でした。
3日間の間に一度だけ薄く目をあけられたので、すぐ手を握ったら、かすかな力で握り返してくれました。必死に何かを言おうとされていました。断片的に聞き取れたいくつかの言葉から、無念であること、息子さんに引き継いだ会社のこと、ご家族のことを言いたかったのだろうと想像しました。
お別れして24時間後、フランスに戻ってすぐに龍太さんからお電話を受けとりました。
松田さんとともにすごした様々なシーンが、後から後から浮かんできます。
6月にはまだワンちゃんを連れて散歩ができる状態であったのに、ほんの短期間で急激に様態が悪化してしまったことが信じられません。
松田さんの育てあげたAmZ社は龍太さんが引き継がれて立派に経営されてゆくことは想像に難くありません。私も暁秀、香織夫婦も今まで以上に努力してすこしでも龍太さんのお力になれるよう頑張ることを誓います。
松田さん、今お別れするのは本当につらいです。でもまたあの世でお会いできると思います。松田さんのことは決して忘れることはありません。
今はどうぞ安らかにお休みください。
令和元年9月18日
坂口功一
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