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ヴィノテーク2014年7月号掲載
カリフォルニアの生産者が来日すると、自社畑比率の質問をするジャーナリストやトレードの人間が多い。さほど重要な問題ではないのに。カリフォルニアでは、ブドウ栽培とワイン醸造は基本的に分かれている。購入するブドウを数時間かけて、ワイナリーに運ぶのは珍しくない。
卓越したブドウ畑を所有する栽培農家は、高名なワインメーカー並みのスターだ。ラリー・ハイド、ゲイリー・ピゾーニ、アンディ・ベックストファーらのブドウは、容易に買えない。農家がワイン生産者を選ぶ売り手市場だ。その中でも、ナパとソノマ郡にかかるカーネロスのロバート・リー・ハドソンはブルゴーニュ品種に関しては抜きん出た存在だ。キスラー、パッツ&ホール、レイミーら名だたる生産者が、「ハドソン・ヴィンヤード」の名を冠したシャルドネを世に出している。80haの畑から、32生産者がブドウを購入する。
初来日したハドソン。日焼けした肌と腕は、畑に生きる農民の証しだが、農家出身ではない。出身はテキサス。母方の祖父は後にエクソンとなる石油会社を興した裕福な家系の出だ。10代から農業に関心をもち、アリゾナ大学で園芸を学んだ。24歳だった1975年にブルゴーニュのドメーヌ・デュジャックで修業した後、UCデイヴィス校でワイン造りを学んだ。同級生はジョン・コングスガード、ティム・モンダヴィ、ランダル・グラハム、ポール・ホブスら、現在のトップ生産者たちだった。
「当時のナパヴァレーには、レストランもなかった。われわれが同時期に学んだのは偶然だが、1976年のパリ試飲会で、カリフォルニアが発展しようとしていた時期。ワイン醸造が関心の的で、ブドウ畑が注目されるようになったのは1980年代に入ってからだ。シャルドネとピノ・ノワールに興味があったから、サン・パブロ湾の影響を受けるカーネロスに目をつけた」
1981年に800haの土地を購入して、ブドウ栽培を始めた。1983年に最初にシャルドネを購入したのがジョン・コングスガード。当時はニュートンのワインメーカーとして、そのブドウでノンフィルターのワインに挑戦し、1987年から重量単位でなく面積単位の購入契約を導入した。
「ジョンはブドウの品質が畑の場所と関連していることを理解していた。私は大企業には売らない。ブドウを栽培して売るだけのようなやり方は好まない。生産者と話し合いながら、共同作業を進める」
年に一度は生産者がワインを持って集まり、試飲しながら意見交換する。情報を共有し、どうやったら品質を向上させられるかを話し合う。ロバート・モンダヴィから続く、ナパ・ヴァレーの自由で開放的な雰囲気がそこには生きている。
ハドソン・ヴィンヤードという畑名表示のシャルドネを最初に生産したのは、カリフォルニアの女帝ヘレン・ターリーのマーカッシン。1993年にデビューした。キスラーが同じ区画のブドウを使って、1996年からこれに続いた。この2軒とコングスガードが、カリフォルニア白生産者の5本指に入るのはもう常識だ。顧客の誰もが畑名を表示できるわけではない。許可を得るにはライセンス料を払わなければならない。ただし、料金は$1。形式的なものだ。
「名前を入れるのはカスタムメイドと同じ。許可する基準は造り手の人間性とワインの品質だ。それに、54区画ある中ですべてから畑名入りのワインを出せるわけではない。一貫した品質で、ほかと区別できる畑でなければ名前は付けられない。畑名を表示できるのは11区画のみだ」
ここにある思想は、ブルゴーニュと同じく、区画の特色を引き出すワイン造りだが、ハドソンはまだ区画別のワインを出すかどうかは決めていない。
ハドソンのシャルドネを使った生産者を飲み比べた。興味深かったのは、2004年から始めたハドソン・ワインズのカーネロス・ナパ・ヴァレー2011とコングスガードのナパ・ヴァレー2011。ハドソン・ワインズは、クリストファー・ヴァンデンドリーシュがワインメーカーを務め、コングスガードがコンサルタントをしている。十数件あったコンサルティングをやめて自分のワイナリーに専念するコングスガードが唯一、面倒を見ているのがハドソン・ワインズ。40 年近く続いている友情の賜物だ。
コングスガードのワイン造りは、凝縮した果実味がたっぷり詰まっていながら、引き締まった酸とミネラル感を有するゴージャスなスタイル。ハドソン・ワインズは100%ハドソンの畑なのに対し、コングスガードは3 分の1ほどハイド・ヴィンヤードが入っている。スタイルは同じでも、コングスガードはより寛容で、横に広がる膨らみがあり、ハドソンは酸を伴う緊張感をはらんでいる。バタール・モンラッシェとシュヴァリエ・モンラッシェの違いに似ている。感想をハドソンに伝えると、同意していた。
ハイドの畑は訪れたことがあるが、ハドソンとはさほど離れていない。いずれも「カーネロスの王者」と呼ばれる存在だが、テロワールの違いを感じた。
17種もの品種を手掛けるハドソンは、イタリアの白ブドウにも挑戦している。一代でブドウ栽培家の頂点に上り詰めながら、挑戦することをやめていない。
肩書は当時のまま。
カリフォルニアの生産者が来日すると、自社畑比率の質問をするジャーナリストやトレードの人間が多い。さほど重要な問題ではないのに。カリフォルニアでは、ブドウ栽培とワイン醸造は基本的に分かれている。購入するブドウを数時間かけて、ワイナリーに運ぶのは珍しくない。
卓越したブドウ畑を所有する栽培農家は、高名なワインメーカー並みのスターだ。ラリー・ハイド、ゲイリー・ピゾーニ、アンディ・ベックストファーらのブドウは、容易に買えない。農家がワイン生産者を選ぶ売り手市場だ。その中でも、ナパとソノマ郡にかかるカーネロスのロバート・リー・ハドソンはブルゴーニュ品種に関しては抜きん出た存在だ。キスラー、パッツ&ホール、レイミーら名だたる生産者が、「ハドソン・ヴィンヤード」の名を冠したシャルドネを世に出している。80haの畑から、32生産者がブドウを購入する。
初来日したハドソン。日焼けした肌と腕は、畑に生きる農民の証しだが、農家出身ではない。出身はテキサス。母方の祖父は後にエクソンとなる石油会社を興した裕福な家系の出だ。10代から農業に関心をもち、アリゾナ大学で園芸を学んだ。24歳だった1975年にブルゴーニュのドメーヌ・デュジャックで修業した後、UCデイヴィス校でワイン造りを学んだ。同級生はジョン・コングスガード、ティム・モンダヴィ、ランダル・グラハム、ポール・ホブスら、現在のトップ生産者たちだった。
「当時のナパヴァレーには、レストランもなかった。われわれが同時期に学んだのは偶然だが、1976年のパリ試飲会で、カリフォルニアが発展しようとしていた時期。ワイン醸造が関心の的で、ブドウ畑が注目されるようになったのは1980年代に入ってからだ。シャルドネとピノ・ノワールに興味があったから、サン・パブロ湾の影響を受けるカーネロスに目をつけた」
1981年に800haの土地を購入して、ブドウ栽培を始めた。1983年に最初にシャルドネを購入したのがジョン・コングスガード。当時はニュートンのワインメーカーとして、そのブドウでノンフィルターのワインに挑戦し、1987年から重量単位でなく面積単位の購入契約を導入した。
「ジョンはブドウの品質が畑の場所と関連していることを理解していた。私は大企業には売らない。ブドウを栽培して売るだけのようなやり方は好まない。生産者と話し合いながら、共同作業を進める」
年に一度は生産者がワインを持って集まり、試飲しながら意見交換する。情報を共有し、どうやったら品質を向上させられるかを話し合う。ロバート・モンダヴィから続く、ナパ・ヴァレーの自由で開放的な雰囲気がそこには生きている。
ハドソン・ヴィンヤードという畑名表示のシャルドネを最初に生産したのは、カリフォルニアの女帝ヘレン・ターリーのマーカッシン。1993年にデビューした。キスラーが同じ区画のブドウを使って、1996年からこれに続いた。この2軒とコングスガードが、カリフォルニア白生産者の5本指に入るのはもう常識だ。顧客の誰もが畑名を表示できるわけではない。許可を得るにはライセンス料を払わなければならない。ただし、料金は$1。形式的なものだ。
「名前を入れるのはカスタムメイドと同じ。許可する基準は造り手の人間性とワインの品質だ。それに、54区画ある中ですべてから畑名入りのワインを出せるわけではない。一貫した品質で、ほかと区別できる畑でなければ名前は付けられない。畑名を表示できるのは11区画のみだ」
ここにある思想は、ブルゴーニュと同じく、区画の特色を引き出すワイン造りだが、ハドソンはまだ区画別のワインを出すかどうかは決めていない。
ハドソンのシャルドネを使った生産者を飲み比べた。興味深かったのは、2004年から始めたハドソン・ワインズのカーネロス・ナパ・ヴァレー2011とコングスガードのナパ・ヴァレー2011。ハドソン・ワインズは、クリストファー・ヴァンデンドリーシュがワインメーカーを務め、コングスガードがコンサルタントをしている。十数件あったコンサルティングをやめて自分のワイナリーに専念するコングスガードが唯一、面倒を見ているのがハドソン・ワインズ。40 年近く続いている友情の賜物だ。
コングスガードのワイン造りは、凝縮した果実味がたっぷり詰まっていながら、引き締まった酸とミネラル感を有するゴージャスなスタイル。ハドソン・ワインズは100%ハドソンの畑なのに対し、コングスガードは3 分の1ほどハイド・ヴィンヤードが入っている。スタイルは同じでも、コングスガードはより寛容で、横に広がる膨らみがあり、ハドソンは酸を伴う緊張感をはらんでいる。バタール・モンラッシェとシュヴァリエ・モンラッシェの違いに似ている。感想をハドソンに伝えると、同意していた。
ハイドの畑は訪れたことがあるが、ハドソンとはさほど離れていない。いずれも「カーネロスの王者」と呼ばれる存在だが、テロワールの違いを感じた。
17種もの品種を手掛けるハドソンは、イタリアの白ブドウにも挑戦している。一代でブドウ栽培家の頂点に上り詰めながら、挑戦することをやめていない。
肩書は当時のまま。
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