- FREE
ヴィノテーク 2014年12月号掲載
後進に道を譲るのが美徳。政界でも、経済界でも当たり前のように言われるが、きれいごとすぎると思ってきた。功なり名を遂げればいいが、問題はその程度だ。やり尽くした感がなければ、身を引くことはできない。だから、石田博ソムリエがコンクールの場に戻ったのは不思議ではない。世界3位では満足できなかったのだ。世間の常識に従って、戦いの現場から退くには、45歳は若すぎる。
ソムリエはスポーツ選手と似ている。個人の戦いだ。コンクールでは、だれも助けてくれない。ボクサーのムハマド・アリは、1974年のキンシャサの奇跡をはじめ、3度にわたって世界ヘビー級王座へ返り咲いた。ゴールは世界一。体力が続くうちは、戦い続けるのが現役選手の誇りだ。再挑戦の決意を固めたのは昨年の末だという。東京で開かれた世界最優秀ソムリエコンクールを舞台裏で支えて、最前線のソムリエたちから刺激を受けたという。
「出場できる可能性があるうちに、挑戦したいという気持ちがあった。田崎さんからも、できるうちにチャレンジした方がいいと勧められていました」
10月16日に博多で開かれた全日本最優秀ソムリエコンクールで優勝した翌日。電話の向こうの声から、いつもの穏やかさに加えて、熱さと意気込みが伝わってきた。
国際ソムリエ協会の田崎真也会長は1995年の東京大会で、世界の頂点に立ち、後進を育てた。石田氏は最高の弟子の一人だ。今では、自らが育成する側にいる。今回のコンクールで、弟子たちに負けるわけがない。負けるわけにもいかなかった。
14年ぶりの挑戦を決めた理由の一つが不燃焼感だった。2000年にモントリオールで開かれた世界コンクールで、3位に入賞したものの、やりきれていないという思いが残っていた。「日本人として豊かなパフォーマンスができなかったという悔いがある。硬くて、人間味が感じられなかった。グローバルな人間として、存在感を示したいという思いがあります」と。
もう一つの重要な理由は、戦う環境が整ったということだ。コンクールには働きながら挑戦する。その条件は、世界中の選手に共通している。現場に立っていなければ、サービスの質を保つのも不可能だ。それはだが、家族や職場への負担を伴う。昨年、優勝したパオロ・バッソはじめ、歴代のチャンピオンが優勝した際に、「支えてくれた家族に感謝したい」というのは、まぎれもない本音なのだ。石田氏の場合は、2011年にレストラン アイ KEISUKE MATSUSHIMA」のシェフソムリエになってから、戦える状況を整えたようだ。
「ベージュ アラン・デュカス東京の総支配人を務めていた時代は、気持ちがあっても、ワインに触る時間がなかった。管理職になると自由な時間がなくなる。今回は、10月中は日中の仕事を入れなかった。その分、収入は減るが、自分で時間が自由に使える。例えば、来月オーストラリアを視察してほしいと言われたら、今は会社や同僚のことを考えずに行けます」
世界大会の出場権を決める香港でのアジア・オセアニアのコンクールは2015年11月。そこで優勝すれば、半年後にアルゼンチンで開かれる世界最優秀ソムリエコンクールが待っている。有利なのは、日本ソムリエ協会の技術研究部部長として、コンクールを主催する側に回ってきたことだ。舞台裏を仕切り、海外のワインコンクールの審査員も務めた。コンクールを客観的な視点で見てきた。採点ポイントがわかるから、点をとる戦い方ができる。コンクールには勝つための技術が存在するのだ。
とはいえ、世界大会のハードルも上がっている。生産国が増えている。14年前、中国やジョージアのワインなどなきに等しかった。先週の水準も上がっている。
「全日本コンクールは、いい形でテンションを上げられた。残り1年間のテンションを高く保つ。課題はテイスティングの精度を高めること、知識を増やすこと。チャレンジャーのつもりで立ち向かうが、3位に入賞した誇りも持っていく」
2010年のチリ大会で優勝したイギリスのジェラール・バッセは、3度の2位に満足せず、6度目の挑戦で世界一になった。石田氏はそのバッセと、モントリオールで戦っている。バッセにできるなら、石田氏にできても不思議はない。
日本のソムリエ界では当分、石田氏に光が当たるだろうが、今回のコンクール結果を見ると、次世代も育っている。
2位の野坂昭彦氏はK.O. Dining Hong Kong、3位の岩淵真氏はChateau Tcc Singaoreに勤務。いずれも富裕層を対象にした高級レストランだ。香港とシンガポールは成熟したワイン文化を誇る。野坂氏はリッツカールトン東京のシェフソムリエを経て、2011年から香港へ。岩淵氏は3年前のコンクールのセミファイナリストで、ホテルニューオータニ大阪「サクラ」などに勤務。アジアから引き合いがくるくらい、日本のソムリエは優秀なのだ。世界の顧客にサービスするうちに、技術も精神も磨かれる。語学力はあって当たり前。国内で純粋培養されたソムリエには限界がある。グローバルな時代。サッカーやテニスと同じく、海外で鍛えられたソムリエでないと、世界の壁は厚い。将来に明るい材料を残した。
肩書は当時のまま
後進に道を譲るのが美徳。政界でも、経済界でも当たり前のように言われるが、きれいごとすぎると思ってきた。功なり名を遂げればいいが、問題はその程度だ。やり尽くした感がなければ、身を引くことはできない。だから、石田博ソムリエがコンクールの場に戻ったのは不思議ではない。世界3位では満足できなかったのだ。世間の常識に従って、戦いの現場から退くには、45歳は若すぎる。
ソムリエはスポーツ選手と似ている。個人の戦いだ。コンクールでは、だれも助けてくれない。ボクサーのムハマド・アリは、1974年のキンシャサの奇跡をはじめ、3度にわたって世界ヘビー級王座へ返り咲いた。ゴールは世界一。体力が続くうちは、戦い続けるのが現役選手の誇りだ。再挑戦の決意を固めたのは昨年の末だという。東京で開かれた世界最優秀ソムリエコンクールを舞台裏で支えて、最前線のソムリエたちから刺激を受けたという。
「出場できる可能性があるうちに、挑戦したいという気持ちがあった。田崎さんからも、できるうちにチャレンジした方がいいと勧められていました」
10月16日に博多で開かれた全日本最優秀ソムリエコンクールで優勝した翌日。電話の向こうの声から、いつもの穏やかさに加えて、熱さと意気込みが伝わってきた。
国際ソムリエ協会の田崎真也会長は1995年の東京大会で、世界の頂点に立ち、後進を育てた。石田氏は最高の弟子の一人だ。今では、自らが育成する側にいる。今回のコンクールで、弟子たちに負けるわけがない。負けるわけにもいかなかった。
14年ぶりの挑戦を決めた理由の一つが不燃焼感だった。2000年にモントリオールで開かれた世界コンクールで、3位に入賞したものの、やりきれていないという思いが残っていた。「日本人として豊かなパフォーマンスができなかったという悔いがある。硬くて、人間味が感じられなかった。グローバルな人間として、存在感を示したいという思いがあります」と。
もう一つの重要な理由は、戦う環境が整ったということだ。コンクールには働きながら挑戦する。その条件は、世界中の選手に共通している。現場に立っていなければ、サービスの質を保つのも不可能だ。それはだが、家族や職場への負担を伴う。昨年、優勝したパオロ・バッソはじめ、歴代のチャンピオンが優勝した際に、「支えてくれた家族に感謝したい」というのは、まぎれもない本音なのだ。石田氏の場合は、2011年にレストラン アイ KEISUKE MATSUSHIMA」のシェフソムリエになってから、戦える状況を整えたようだ。
「ベージュ アラン・デュカス東京の総支配人を務めていた時代は、気持ちがあっても、ワインに触る時間がなかった。管理職になると自由な時間がなくなる。今回は、10月中は日中の仕事を入れなかった。その分、収入は減るが、自分で時間が自由に使える。例えば、来月オーストラリアを視察してほしいと言われたら、今は会社や同僚のことを考えずに行けます」
世界大会の出場権を決める香港でのアジア・オセアニアのコンクールは2015年11月。そこで優勝すれば、半年後にアルゼンチンで開かれる世界最優秀ソムリエコンクールが待っている。有利なのは、日本ソムリエ協会の技術研究部部長として、コンクールを主催する側に回ってきたことだ。舞台裏を仕切り、海外のワインコンクールの審査員も務めた。コンクールを客観的な視点で見てきた。採点ポイントがわかるから、点をとる戦い方ができる。コンクールには勝つための技術が存在するのだ。
とはいえ、世界大会のハードルも上がっている。生産国が増えている。14年前、中国やジョージアのワインなどなきに等しかった。先週の水準も上がっている。
「全日本コンクールは、いい形でテンションを上げられた。残り1年間のテンションを高く保つ。課題はテイスティングの精度を高めること、知識を増やすこと。チャレンジャーのつもりで立ち向かうが、3位に入賞した誇りも持っていく」
2010年のチリ大会で優勝したイギリスのジェラール・バッセは、3度の2位に満足せず、6度目の挑戦で世界一になった。石田氏はそのバッセと、モントリオールで戦っている。バッセにできるなら、石田氏にできても不思議はない。
日本のソムリエ界では当分、石田氏に光が当たるだろうが、今回のコンクール結果を見ると、次世代も育っている。
2位の野坂昭彦氏はK.O. Dining Hong Kong、3位の岩淵真氏はChateau Tcc Singaoreに勤務。いずれも富裕層を対象にした高級レストランだ。香港とシンガポールは成熟したワイン文化を誇る。野坂氏はリッツカールトン東京のシェフソムリエを経て、2011年から香港へ。岩淵氏は3年前のコンクールのセミファイナリストで、ホテルニューオータニ大阪「サクラ」などに勤務。アジアから引き合いがくるくらい、日本のソムリエは優秀なのだ。世界の顧客にサービスするうちに、技術も精神も磨かれる。語学力はあって当たり前。国内で純粋培養されたソムリエには限界がある。グローバルな時代。サッカーやテニスと同じく、海外で鍛えられたソムリエでないと、世界の壁は厚い。将来に明るい材料を残した。
肩書は当時のまま
購読申込のご案内はこちら
会員登録(有料)されると会員様だけの記事が購読ができます。
世界の旬なワイン情報が集まっているので情報収集の時間も短縮できます!