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伝説的ワインメーカーのマイク・ガーギッチが100歳で死去

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 カリフォルニア・ナパヴァレーを世界的なワイン産地に発展させたクロアチア系アメリカ人のワインメーカー、ミイェンコ・(マイク)・ガーギッチが13日、100歳で亡くなった。カリストガの自宅で睡眠中に亡くなった。


 ガーギッチは1976年に開かれたパリ・テイスティングにおいて、元弁護士のジム・バレットが創業したシャトー・モンテレーナで造ったシャルドネ1973で、ブルゴーニュの白ワインを打ち負かし、世界のワイン地図を塗り替えた。ブドウの40%はロシアン・リヴァー・ヴァレーの畑から調達したものだった。


 バレットは当初、世界クラスのカベルネ・ソーヴィニヨンを構想していたが、ブドウを植えて熟成させるのに時間がかかるため、ガーギッチはキャッシュフローのために白ワイン造りを提案。8か月ほど熟成させて販売していた。1973年のシャルドネは2番目のヴィンテージだった。


 1923年4月、クロアチア(旧ユーゴスラビア)のアドリア海に近いワイン造りの家庭に、11人兄弟の末っ子として生まれた。共産主義下のザグレブ大学で醸造学とブドウ栽培を学んだ。靴の中に数ドルを隠して出国。交換留学先のドイツから亡命先のカナダを経て、1958年にナパヴァレーにたどり着いた。


 シャトー・スーヴェランで働き、同じくヨーロッパ移民の伝説的な醸造家アンドレ・チェリチェフと出会い、ボーリュー・ヴィンヤーズで働いた。ジョルジュ・ド・ラトゥール カベルネ・ソーヴィニヨンなどの高級ワインを手掛けた後、新興のロバート・モンダヴィに移り、フュメ・ブランや1969年のカベルネ・ソーヴィニヨンを生み出した。1972年にシャトー・モンテレーナのワインメーカーとなった。 


 1977年、ガーギッチ・ヒルズ・エステートを創業した。エステートはシャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨン、ジンファンデルなどをオーガニック栽培。リジェネラティブ・オーガニック・ヴィティカルチャーの認証を受けている。95歳で娘のヴァイオレット、おいのワインメーカー兼副社長のイヴォ・ジェラマズにワイナリー経営を引き継いだ。


 母国のワイン産業の再建にも貢献し、ザグレブ大学に基金を設立し、若者のワイン造りとブドウ栽培の教育を支援した。 


 今年5月に行われた誕生日パーティに、車椅子で登場した。赤のスタッグス・リープ・ワイン・セラーズがパリ・テイスティングで勝利したウォーレン・ウィニアルスキーやジムの息子ボー・バレット、マイケルとティム・モンダヴィ兄弟ら、ナパヴァレーの歴史を作ってきた造り手たちが出席して祝福された。


 傘を買う金がなかったために買ったトレードマークのベレー帽と米国に持参したスーツケース、1973年のシャルドネのボトルは、「アメリカを造った101のアイテム」として、スミソニアン博物館に展示されている

 

  
 

(C)Grgich Hills Estate
100歳の誕生日でマイク・ガーギッチ(左)とウォーレン・ウィニアルスキー
世界のワイン地図を塗り替えたワイン Smithsonian Institution Archives

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