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DRC共同経営者、ラルー・ビーズ・ルロワの娘が就任

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 昨年11月に亡くなったアンリ・フレデリック・ロックの後継となるドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の共同経営者に、アンリ・フレデリックのいとこで、ラルー・ビーズ・ルロワの1人娘ペリーヌ・フェナルが就任することがわかった。オランダのインポーター「Le Vin and Direct」と日本のインポーター、ファインズの担当者が明らかにした。

 ペリーヌ・フェナル(Perrine Fenal)は、1958年に結婚したマルセル・ビーズとマルセル(ラルー)・ルロワ夫妻の1人娘。56歳。ラルーの姉ポーリーヌの次男アンリ・フレデリックとはいとこになる。ペリーヌの父マルセルは2004年に亡くなったが、ラルーは健在で、ペリーヌは母親譲りの才能あるテイスターと言われている。ジュネーブ在住。近年はDRCの経営に関わっていて、2005年から監査役会でルロワ家代表の監査役を務めていた。ド・ヴィレーヌ家代表で顔的な存在のオベール・ド・ヴィレーヌと密接なコミュニケーションをしているという。2人の娘がいて、長女はカリフォルニアで獣医を、次女はスイスで醸造とワインビジネスを学んだ。

 DRCは1942年に法人化され、エドモン・ゴーダン・ド・ヴィレーヌとオーセイ・デュレスのワイン商アンリ・ルロワが50%ずつの株式を所有する共同経営体制となった。アンリは陰の推進力となり、最初はエドモン、後に息子のアンリと組んで、ドメーヌを支えた。

 エドモンの孫オベールとアンリの次女ラルー・ビーズが1974年、共同経営者となり、品質を大きく向上させた。ラルー・ビーズが92年、共同経営者を退いた後、ルロワ家側からは彼女の姉ポーリーヌの長男シャルルが代表となったが、ジュネーブからブルゴーニュに通勤する途中の交通事故で亡くなり、弟のアンリ・フレデリックが後任を務めていた。

 オベールは引退後の共同経営者の後任に、おいのベルトランを据える意向で、訪問客の対応などを任せている。2018年1月には、1986年から醸造責任者を務めていたベルナール・ノブレが引退し、当時37歳のアレクサンドル・ベルニエが引き継いだ。栽培担当は2007年からニコラ・ジャコブが務めている。ブルゴーニュの頂点に立つ”ザ・ドメーヌ”も若返りが進んでいる。

ペリーヌ・フェナルの母は92年にDRC共同経営者を退いたラルー・ビーズ・ルロワ
若き日のオベール・ド・ヴィレーヌとアンリ・フレデリック・ロック
法人化されたDRCの基礎を固めたアンリ・ルロワ(左)とアンリ・ド・ヴィレーヌ

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