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麻井イズムを継承 おいしいと思えるワインを売りたい
「Sommelier」(日本ソムリエ協会)2017年
ディスカウンターでワイン業界に風穴を開けた。その原点にあるのは人とのつながりだ。
多くの高級ワインを安値で販売
「キャヴィスト」はフランスのワイン業界で、重要な役割を果たしている。ワインショップで、客の好みに合わせてワインを選ぶ。全国コンクールも開かれている。日本でキャヴィストと言うと、この人を思い出す。輸入元やメディアの受け売りではなく、自らの審美眼にかなったワインでお客を満足させている。
首都圏の愛好家で、彼を知らない人間を探す方が難しいだろう。様々なメディアに登場している。1993年から四半世紀近くにわたり、現場に立って、高級ワインからデイリーワインまで売ってきた。東京・池袋の「やまや」の店長時代に、ブルゴーニュやボルドーの魅力にとりつかれた人も多いに違いない。かく言う私も足しげく通った。いまだに寝かせているワインがある。ドメーヌ・ルロワのミュジニー1996年は5万9800円で買った。アンリ・ジャイエのブルゴーニュ・パス・トゥ・グランは3980円。ふだん飲みできた。もちろん本物。ジャイエがメタヤージュで造ったと思われるメオ・カミュゼのニュイ・サン・ジョルジュ・レ・ミュルジュ1987年も3980円だった。
1990年代前半はワイン業界の変革期だった。酒税法が改正され、高価だったウイスキーが値下がりし、並行輸入で高級ワインが流入してきた。
「1990年のロマネ・コンティを9万9800円で売ったのはよく覚えています。ポンテ・カネの92年は980円。95年のクリスマスイブには、一晩でドン・ペリニヨンが100ケース売れました。朝に出勤すると、店の前に4トントラックが止まっていて、『赤ワインをすべて売ってくれ』なんてこともあった。ワインはベルギーやアメリカなど様々なルートで調達していました。高級ワインは91年にバブルが崩壊した後に本格化した。激安ブームもきて、やまやは独壇場でした」
大学時代に渋谷でバーテンダーのアルバイトをした経験から、アルコール関係の企業を志望した。サントリーやニッカなどを軒並み落ちて、受かったのはメルシャンだけ。10年間、営業畑を歩き、仙台支店でやまやとの縁ができた。ワインは定価販売が当たり前の時代。やまやは小売店から敵視され、監視されていた。自家用車で訪れて、会社のバッジを外さないと店に入れなかったという。早い時期から、引き抜きの誘いがあった。
店で朝まで飲んで翌日も仕事
「メーカーを辞めて、酒屋になるのは今ひとつイメージがわかなかった。でも、最後の2年間はやまやのつながりで、色々なディスカウンターと人脈ができた。メルシャンは小さな会社なのに、大企業病にかかり始めていたんです。新しい提案をしても、実現には時間がかかった。課長になって、やりたいことをするにはあと10年はかかる。ディスカウンターを回ると、30台前半の2代目、3代目が生き生きと働いていました。ここで定年まで務めるよりは……タイムマシンで戻っても、同じ選択をしていたでしょうね」
1993年、やまやが東京に進出した1号店となる池袋店の店長として、生まれついた地元で働くことになった。33歳の再出発である。エネルギーがみなぎっていた。朝7時から夜中の12時まで、2か月も休みをとらずに働いたこともある。朝まで店内で飲んで、店を開けることも珍しくない。過労で倒れて、救急車で運ばれたこともある。その勢いに太刀打ちできる店は少なかった。ブルゴーニュのドメーヌワインが百貨店のワインフェアで本格的に売られるようになったのは、もう少し後の話である。
「既存の酒屋とは異なる流通の革命が起きていた。今思えば、勘違いかもしれませんが、俺が日本の流通を変えてやるという思い込みで全力疾走していました。ディスカウンターからスーパーマーケットへの過渡期でした」
内藤が時代の先端で風を切っていたのは間違いない。功績は価格破壊だけではない。高級ワインを身近にした。90年代半ば、作家の田中康夫が「噂の真相」に連載していた「ペログリ日記」で、ワインを店内に並べる売り方を批判した。これに対して「我々はワインを愛しています」と反論の手紙を書き、そのやりとりも活字になった。若き内藤は熱かった。現代と違って、意見を発信できるSNSやブログはなかった。
やまやは、一握りの富裕層や文化人が高級なレストランで飲み、家のキャビネットに飾っていた高級品を、一般消費者の日常空間に引きずり下ろしたのだ。リムジンに乗り、シャンパーニュの風呂につかっていた大物ロックバンドに中指をつきたてたパンクロックのように先鋭な存在だったと言えるかもしれない。この衝突からうまれたブログ「ペログビワイン日記」は、16年以上も続いている。
組織のしがらみを嫌い2度目の転職
ロックバンドが転がる石のように変化するように、内藤も1つの場所にとどまらなかった。裁量権は与えられていたが、取締役関東支店長として店舗を拡大していく過程で、上部と衝突することが多くなった。労務管理など組織のための仕事も増えた。会社で働く以上、当たり前のことなのだが、ここでも組織のしがらみに対する反感が頭をもたげた。社長と大喧嘩して辞めた。
「辞めたいというよりは、自分ですべて決められるワインの仕事をやりたいという気持ちの方が強かった。昔からそうなんです。大学時代はテニスサークルを結成したり。なまけ者なので、面倒くさいけど、やってしまう。自分の中でも、『やめろ』という黒内藤と『がんばれ』という白内藤が戦っています(笑)」
サラリーマンには向かない一匹狼タイプである。1983年に同期入社し、メルシャンの社長に昇りつめた横山清氏とは対照的なタイプだった。1999年、ワインコンサルタントとして独立し、東京・虎ノ門に「カーヴドリラックス」を開業した。自社輸入ワインも開発し、2001年からは卸売りも始めた。世界の産地を訪問し、独自のネットワークで調達する1000円前後のデイリーワインは全国的に人気が高い。「安ウマワインの大魔王」とも呼ばれる。そこにはメルシャン時代に師事した麻井宇介の教えが息づいている。86年に2期目のワインアドバイザーとなった内藤は、社内研修で会って、「麻井イズム」を埋め込まれた。
最後は人とのつながり
「麻井さんの教えは、おいしいワインを見抜けということなんです。いたんだワインと、いたまないように薬を入れたワイン以外は、ワインはみなおいしいと」
自社輸入ワインでは、なるべく亜硫酸を減らして、ソルビン酸を入れないように生産者に指示し、フレッシュでクリーンなワインを造ってもらっている。
「自分がお金を出して楽しめる。そこのところは譲りたくない。大手ではそうはいかない。毎日、1.5本から2本は飲みます。混ぜ物があるものは途中で止まってしまう。おいしく、楽しいワイン以外は売りたくない。それを維持するために仕事を変わってきた。ちょっとカッコヨすぎるけど」
麻井イズムを継承して、日本ワインにも力を入れている。会社という入れ物ではなく、結局は人とのつながり。そこから得たものを、消費者に還元している。
1959年東京生まれ。1983年メルシャン入社。93年に酒類ディスカウントチェーン「やまや」入社。99年東京・虎ノ門にワイン専門店「カーヴドリラックス」を開業。
「Sommelier」(日本ソムリエ協会)2017年
ディスカウンターでワイン業界に風穴を開けた。その原点にあるのは人とのつながりだ。
多くの高級ワインを安値で販売
「キャヴィスト」はフランスのワイン業界で、重要な役割を果たしている。ワインショップで、客の好みに合わせてワインを選ぶ。全国コンクールも開かれている。日本でキャヴィストと言うと、この人を思い出す。輸入元やメディアの受け売りではなく、自らの審美眼にかなったワインでお客を満足させている。
首都圏の愛好家で、彼を知らない人間を探す方が難しいだろう。様々なメディアに登場している。1993年から四半世紀近くにわたり、現場に立って、高級ワインからデイリーワインまで売ってきた。東京・池袋の「やまや」の店長時代に、ブルゴーニュやボルドーの魅力にとりつかれた人も多いに違いない。かく言う私も足しげく通った。いまだに寝かせているワインがある。ドメーヌ・ルロワのミュジニー1996年は5万9800円で買った。アンリ・ジャイエのブルゴーニュ・パス・トゥ・グランは3980円。ふだん飲みできた。もちろん本物。ジャイエがメタヤージュで造ったと思われるメオ・カミュゼのニュイ・サン・ジョルジュ・レ・ミュルジュ1987年も3980円だった。
1990年代前半はワイン業界の変革期だった。酒税法が改正され、高価だったウイスキーが値下がりし、並行輸入で高級ワインが流入してきた。
「1990年のロマネ・コンティを9万9800円で売ったのはよく覚えています。ポンテ・カネの92年は980円。95年のクリスマスイブには、一晩でドン・ペリニヨンが100ケース売れました。朝に出勤すると、店の前に4トントラックが止まっていて、『赤ワインをすべて売ってくれ』なんてこともあった。ワインはベルギーやアメリカなど様々なルートで調達していました。高級ワインは91年にバブルが崩壊した後に本格化した。激安ブームもきて、やまやは独壇場でした」
大学時代に渋谷でバーテンダーのアルバイトをした経験から、アルコール関係の企業を志望した。サントリーやニッカなどを軒並み落ちて、受かったのはメルシャンだけ。10年間、営業畑を歩き、仙台支店でやまやとの縁ができた。ワインは定価販売が当たり前の時代。やまやは小売店から敵視され、監視されていた。自家用車で訪れて、会社のバッジを外さないと店に入れなかったという。早い時期から、引き抜きの誘いがあった。
店で朝まで飲んで翌日も仕事
「メーカーを辞めて、酒屋になるのは今ひとつイメージがわかなかった。でも、最後の2年間はやまやのつながりで、色々なディスカウンターと人脈ができた。メルシャンは小さな会社なのに、大企業病にかかり始めていたんです。新しい提案をしても、実現には時間がかかった。課長になって、やりたいことをするにはあと10年はかかる。ディスカウンターを回ると、30台前半の2代目、3代目が生き生きと働いていました。ここで定年まで務めるよりは……タイムマシンで戻っても、同じ選択をしていたでしょうね」
1993年、やまやが東京に進出した1号店となる池袋店の店長として、生まれついた地元で働くことになった。33歳の再出発である。エネルギーがみなぎっていた。朝7時から夜中の12時まで、2か月も休みをとらずに働いたこともある。朝まで店内で飲んで、店を開けることも珍しくない。過労で倒れて、救急車で運ばれたこともある。その勢いに太刀打ちできる店は少なかった。ブルゴーニュのドメーヌワインが百貨店のワインフェアで本格的に売られるようになったのは、もう少し後の話である。
「既存の酒屋とは異なる流通の革命が起きていた。今思えば、勘違いかもしれませんが、俺が日本の流通を変えてやるという思い込みで全力疾走していました。ディスカウンターからスーパーマーケットへの過渡期でした」
内藤が時代の先端で風を切っていたのは間違いない。功績は価格破壊だけではない。高級ワインを身近にした。90年代半ば、作家の田中康夫が「噂の真相」に連載していた「ペログリ日記」で、ワインを店内に並べる売り方を批判した。これに対して「我々はワインを愛しています」と反論の手紙を書き、そのやりとりも活字になった。若き内藤は熱かった。現代と違って、意見を発信できるSNSやブログはなかった。
やまやは、一握りの富裕層や文化人が高級なレストランで飲み、家のキャビネットに飾っていた高級品を、一般消費者の日常空間に引きずり下ろしたのだ。リムジンに乗り、シャンパーニュの風呂につかっていた大物ロックバンドに中指をつきたてたパンクロックのように先鋭な存在だったと言えるかもしれない。この衝突からうまれたブログ「ペログビワイン日記」は、16年以上も続いている。
組織のしがらみを嫌い2度目の転職
ロックバンドが転がる石のように変化するように、内藤も1つの場所にとどまらなかった。裁量権は与えられていたが、取締役関東支店長として店舗を拡大していく過程で、上部と衝突することが多くなった。労務管理など組織のための仕事も増えた。会社で働く以上、当たり前のことなのだが、ここでも組織のしがらみに対する反感が頭をもたげた。社長と大喧嘩して辞めた。
「辞めたいというよりは、自分ですべて決められるワインの仕事をやりたいという気持ちの方が強かった。昔からそうなんです。大学時代はテニスサークルを結成したり。なまけ者なので、面倒くさいけど、やってしまう。自分の中でも、『やめろ』という黒内藤と『がんばれ』という白内藤が戦っています(笑)」
サラリーマンには向かない一匹狼タイプである。1983年に同期入社し、メルシャンの社長に昇りつめた横山清氏とは対照的なタイプだった。1999年、ワインコンサルタントとして独立し、東京・虎ノ門に「カーヴドリラックス」を開業した。自社輸入ワインも開発し、2001年からは卸売りも始めた。世界の産地を訪問し、独自のネットワークで調達する1000円前後のデイリーワインは全国的に人気が高い。「安ウマワインの大魔王」とも呼ばれる。そこにはメルシャン時代に師事した麻井宇介の教えが息づいている。86年に2期目のワインアドバイザーとなった内藤は、社内研修で会って、「麻井イズム」を埋め込まれた。
最後は人とのつながり
「麻井さんの教えは、おいしいワインを見抜けということなんです。いたんだワインと、いたまないように薬を入れたワイン以外は、ワインはみなおいしいと」
自社輸入ワインでは、なるべく亜硫酸を減らして、ソルビン酸を入れないように生産者に指示し、フレッシュでクリーンなワインを造ってもらっている。
「自分がお金を出して楽しめる。そこのところは譲りたくない。大手ではそうはいかない。毎日、1.5本から2本は飲みます。混ぜ物があるものは途中で止まってしまう。おいしく、楽しいワイン以外は売りたくない。それを維持するために仕事を変わってきた。ちょっとカッコヨすぎるけど」
麻井イズムを継承して、日本ワインにも力を入れている。会社という入れ物ではなく、結局は人とのつながり。そこから得たものを、消費者に還元している。
1959年東京生まれ。1983年メルシャン入社。93年に酒類ディスカウントチェーン「やまや」入社。99年東京・虎ノ門にワイン専門店「カーヴドリラックス」を開業。
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